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「天皇皇后両陛下」 のテレビ露出情報

天皇皇后両陛下はきのう、平和記念公園の中にある被爆遺構展示館を初めてご覧になった。被爆遺構とは原爆の痕跡が残る住居跡や道路跡などのこと。天皇皇后両陛下は何度も頷きながら職員の説明に耳を傾けていた。被爆遺構展示館は2022年に開館。爆心地に近い場所に残された被爆遺構を展示している。今は平和公園となっている旧中島地区は民家や商店が立ち並ぶ広島一の繁華街で、原爆が投下される前は約1300世帯、約4400人が暮らしていた。戦後、街が復興し発展する中で被爆遺構の多くは地中に埋まってしまった。2019年の調査で被爆当時の家屋の存在が明らかとなり、発掘によって側溝や家々を隔てていた石材などが出土した。今回、両陛下が初めて訪れた展示館は一部分を当時の姿そのままで保存している。広島市被爆体験継承担当・坂本優治課長は「そこの暮らしがあったということは実感できないのではないか。被爆遺構展示館は当時の暮らしの営みがあったということ、それが失われたということを感じていただきたい」、来館者は「当時2歳だったが、被爆遺構を見て涙が出た」と話した。
広島・安芸高田市に被爆遺構展示館とゆかりの深い人物が住んでいる。来月90歳を迎える平野隆信さんの家は旧中島地区の材木町にあった。母親を病気で亡くし、靴下店を営む父と兄弟4人で暮らしていた。1945年3月、平野さんは安芸高田市の祖母の家に疎開。8月5日、父は「自宅を整理しに行く」と広島市内へ戻った。それが父を見る最後の姿になった。約40km離れた祖母の家からでも原爆の凄まじさを感じたという。その8日後、広島市の自宅に向かった平野さんは変わり果てた町を目にした。先に広島市に入っていた祖母が父の遺体を発見した。自宅の焼け跡から見つかった普段使っていた鉄製のやかんの中に父の遺骨を入れて持ち帰った。今は平和公園となった旧中島地区材木町。原爆投下の時、ここで何があったのかを後世に伝えるのが被爆遺構展示館。平野さんは「陛下にそこに足を運んでいただいて、その姿が全世界に放映される。これはすごいことだと思う。戦争ほど残忍なものはない。原爆を使った戦争は絶対なにがあっても許せない」と話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月16日放送 13:00 - 13:30 テレビ朝日
徹子の部屋(ゲスト 段田安則)
段田安則は大河ドラマ「光る君へ」で藤原兼家を演じた。去年紫綬褒章を受賞し青天の霹靂だったと話した。受賞後、天皇陛下から直接声をかけていただいたという。31年前の番組初出演の映像を紹介。母は現在103歳で施設に会いに行っても段田のことは認識できないが元気でにこにこしていてくれるだけで良いなどと話した。59歳で亡くなった父が買ってくれた腕時計は50年以上大事にし[…続きを読む]

2025年6月21日放送 6:00 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングけさ知っておきたい!NEWS
両陛下が広島の被災地区を訪問された。広島市安佐南の周辺では11年前、集中豪雨により土砂災害が発生し77人が亡くなるなど大きな被害が出た。両陛下は「本当に大きな被害だったんですね」と話し黙礼された。その後、豪雨災害伝承館を視察され被災者や遺族らと懇談。

2025年6月21日放送 5:55 - 9:25 日本テレビ
シューイチNEWS
戦後80年の節目にあたり、天皇皇后両陛下が広島県を訪問された。即位後初めての被爆地訪問となり、おとといは原爆犠牲者の慰霊碑である「広島平和都市記念碑」で花を手向けられた。その後高齢の被爆者に代わって、被爆体験を伝える若い世代の伝承者から話を聞かれた。2日目のきのうは2014年8月の豪雨土砂災害で被害の大きかった広島市安佐南区を訪れ、黙礼された。

2025年6月20日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
広島県を訪問中の天皇皇后両陛下は、11年前の土砂災害で被害を受けた安佐南区の砂防堰堤を訪問された。天皇陛下は「本当に大きな被害だったのか」と述べられ、黙礼した。その後両陛下は豪雨災害伝承館を視察し、被害者や遺族らと懇談された。

2025年6月20日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(最新ニュース)
広島県を訪問中の天皇皇后両陛下は11年前、豪雨災害で多くの犠牲者が出た広島市安佐南区を訪れ、小原山砂防堰堤で黙礼された。その後、広島市豪雨災害伝承館を訪れ、被災者らとも懇談された。

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