- 出演者
- 堂真理子 大下容子 松尾由美子 佐々木亮太 デーブ・スペクター 中野信子 林美桜 水越祐一 仁科健吾 駒見直音
オープニングの挨拶。
ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアの第2の都市サンクトペテルブルクでは、18日から大規模な国際経済フォーラムが開催されている。プーチン大統領は外国人記者との会合の中で、アメリカのトランプ大統領との会談の可能性について「会談は間違いなく有益だろう。この点についてはアメリカ大統領の意見に賛成だ。もちろん周到に準備する必要があり、肯定的な発言だけで終わるべきではない」と答えた。プーチン大統領は開幕初日から会場に姿を見せた。初日、プーチン大統領は孫娘の存在を明かすとともに、中国語に精通していると説明した。独立系メディアは次女のカテリーナ・チホノワ氏の子どものことだろうと指摘している。国際フォーラムではプーチン大統領の娘2人もスピーチなどを行った。長女で内分泌学者のマリヤ・ボロンツォワ氏は医療技術の発展に伴う倫理の問題をめぐる会合で司会を務めた。次女のチホノワ氏は制裁下におけるロシア経済についてスピーチし「様々な技術の国産化が成功している」などと述べた。フォーラムにはショイグ安全保障会議書記の娘らと政権幹部の子どもが多く参加していて、クレムリン・エリートの子どもたちのショーケースとも指摘されている。25年に及ぶ長期支配によってプーチン政権全体が高齢化する中、世襲を見据えた動きだとみられている。脳科学者・中野信子は「自分の子孫が優秀であることを見せつけることも自分の足固めに必要。政治家は孤独なものだから、ファミリーしか信用できないのかなと穿った見方もする」とコメントした。
オープニング映像。
石川・羽咋市の空の様子を中継映像で伝えた。
イスラエルのネタニヤフ首相はイランについて「民間人を狙う犯罪的な政権」と批判した上で、改めて攻撃の目的は核開発とミサイルの破壊にあると強調した。また、アメリカの攻撃参加について「トランプ大統領の判断を信じている」と期待感を示した。一方、イスラエル軍は19日、イラン西部アラクの重水炉を攻撃したと発表した。IAEA(国際原子力機関)は原子炉は建設中で放射性物質はなかったと指摘している。
政府はイランから隣国のアゼルバイジャンに日本人と家族計66人、イスラエルからヨルダンに日本人と家族計21人をバスで退避させた。岩屋外務大臣は早ければあすにもイランから2回目の退避用のバスを出発させるほか、今後の退避に備え、自衛隊の輸送機2機をジブチに派遣すると明らかにした。外務省によると、現在もイランには約220人、イスラエルには約1000人の日本人が滞在している。
神奈川・箱根町の箱根強羅公園ではアジサイが見頃を迎えている。箱根はアジサイに囲まれながら走る登山電車も有名。夜にはライトアップされた中を走る夜のアジサイ号も人気。現在、箱根湯本駅~大平台駅の間が見頃。中野は「行けるときは毎シーズン行くことにしている」とコメントした。ライトアップは6月30日まで、箱根全体のアジサイは7月中旬ごろまで見頃。
全国の気象情報を伝えた。熱中症警戒アラートが島根県、長崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県に出ている。
天皇皇后両陛下は戦後80年にあたり、戦没者を慰霊するなどの目的で広島を訪問されている。両陛下が広島を訪問するのは即位後初めて。きのう午前11時すぎ、天皇皇后両陛下を乗せた特別機が広島空港に到着し、広島県・湯崎英彦知事らが出迎えた。その頃、広島市内は厳戒態勢となり、原爆史料館など平和公園内の施設は午前11時から臨時休館になった。両陛下がホテルに到着し、広島市・松井市長やホテルの支配人と笑顔で言葉を交わされた。その後、ホテルを出発した車は平和公園へ向かった。天皇陛下が広島を訪問されるのは皇太子時代を含めて今回で11回目。今回、即位後初めてとなった訪問で両陛下は被爆者らとも懇談された。
平和公園を訪れ、原爆慰霊碑に向かわれた天皇皇后両陛下は原爆で亡くなった34万人余りの死没者名簿を納めた慰霊碑で、広島市・松井一實市長からの説明に耳を傾けられた。終戦直前の1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。昭和天皇は被爆の2年後に広島を訪問された。車から降りた昭和天皇は帽子を取って人々に挨拶。原爆ドームが遠くに見える場所に昭和天皇が立たれると、天皇陛下の地方巡幸など当時の誰もが思いもしなかったことに広島市民から自然発生的に万歳の声が上がった。原爆資料館では去年、日本被団協が受賞したノーベル平和賞の展示を視察し、被爆者の運動の歴史を聞かれた後、一瞬で消えた町並みを表現したホワイトパノラマの前へ。そして、90代の被爆者らと懇談された。被爆者は「被爆者に限らず、戦争についてかなり心を砕いてくださっている。ありがたいなと思う」、「時間をオーバーして資料館をご覧になり、私たちにも親しく話を聞いてもらい、被爆状況を感じておられると思う」と話した。両陛下は戦後80年にあたり令和の“慰霊の旅”を続けられている。4月には東京・小笠原村の硫黄島を訪問。今月4日~5日には長女・愛子さまと共に沖縄を訪問された。10年前、55歳の誕生日を迎えられた際の記者会見で、当時皇太子だった陛下は戦後70年にあたって平和への思いを「戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べられていた。上皇ご夫妻から聞いた戦争の話を愛子さまにも折々に話をされてきたという。その思いは愛子さまの卒業文集に込められていた。
即位後初めて広島を訪問されている天皇皇后両陛下は、きのう「80年前の原爆投下により犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、これまでの広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにしました。被爆体験や平和の大切さが伝えられていくことの意義を改めて感じます」と初日の感想を寄せられた。陛下は戦争の話を愛子さまに話してきた。愛子さまは2016年に中学校の修学旅行で広島を訪問された際に感じられたことなどを卒業記念文集に「原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う」とつづられた。デーブ・スペクターは「インバウンドも増えていて広島を日程に入れる方も多い。自分の見たものをネットに載せたりして、今だからこそ行くという新たな役割が大きい」、中野は「AIが色んなものを生成できるようになってきたが、フィクションなのか、本当に起きたことかの区別をつけるのは記録に頼る以外ない。記録、生の声を残していく大事さを改めて感じる」などとコメントした。
天皇皇后両陛下はきのう、平和記念公園の中にある被爆遺構展示館を初めてご覧になった。被爆遺構とは原爆の痕跡が残る住居跡や道路跡などのこと。天皇皇后両陛下は何度も頷きながら職員の説明に耳を傾けていた。被爆遺構展示館は2022年に開館。爆心地に近い場所に残された被爆遺構を展示している。今は平和公園となっている旧中島地区は民家や商店が立ち並ぶ広島一の繁華街で、原爆が投下される前は約1300世帯、約4400人が暮らしていた。戦後、街が復興し発展する中で被爆遺構の多くは地中に埋まってしまった。2019年の調査で被爆当時の家屋の存在が明らかとなり、発掘によって側溝や家々を隔てていた石材などが出土した。今回、両陛下が初めて訪れた展示館は一部分を当時の姿そのままで保存している。広島市被爆体験継承担当・坂本優治課長は「そこの暮らしがあったということは実感できないのではないか。被爆遺構展示館は当時の暮らしの営みがあったということ、それが失われたということを感じていただきたい」、来館者は「当時2歳だったが、被爆遺構を見て涙が出た」と話した。
広島・安芸高田市に被爆遺構展示館とゆかりの深い人物が住んでいる。来月90歳を迎える平野隆信さんの家は旧中島地区の材木町にあった。母親を病気で亡くし、靴下店を営む父と兄弟4人で暮らしていた。1945年3月、平野さんは安芸高田市の祖母の家に疎開。8月5日、父は「自宅を整理しに行く」と広島市内へ戻った。それが父を見る最後の姿になった。約40km離れた祖母の家からでも原爆の凄まじさを感じたという。その8日後、広島市の自宅に向かった平野さんは変わり果てた町を目にした。先に広島市に入っていた祖母が父の遺体を発見した。自宅の焼け跡から見つかった普段使っていた鉄製のやかんの中に父の遺骨を入れて持ち帰った。今は平和公園となった旧中島地区材木町。原爆投下の時、ここで何があったのかを後世に伝えるのが被爆遺構展示館。平野さんは「陛下にそこに足を運んでいただいて、その姿が全世界に放映される。これはすごいことだと思う。戦争ほど残忍なものはない。原爆を使った戦争は絶対なにがあっても許せない」と話した。
広島では今も被爆遺構や被爆建物などが残っている。広島市によると、原爆の強烈な爆風と熱戦は爆心地から2キロ以内の建物をほぼ全て破壊し、当時の広島市内の建物の9割が壊滅的被害を受けたという。残された建物も戦後の復興で取り壊されたり、建て替えなどにより次々と姿を消したりしていくなかで、市民から保存などを求める要望が出されて、広島市は1993年に被爆建物などを登録して保存費用を助成する制度を設けた。現在、原爆ドームなど爆心地から5キロ以内の86件の被爆建物などが登録されている。被爆建物の中には発見・登録されたものもある。被爆の時相を伝える被爆遺構・被爆建物の調査や保存には課題もある。2021年にサッカースタジアム建設予定地から過去最大級の被爆遺構が発見された。
6月22日の「ボウリングの日」を前に都内のボウリング場は多くの人でにぎわいを見せていた。「仲良し健康サークル」と題したイベントで参加者はおよそ90人で9割ほどが65歳以上のシニア世代。この日の参加者で最高齢の田中一男さんは90歳。いまは週に2度ほど通い、スコアが200近いときもあるという。空前のボウリングブームを巻き起こした立役者は、“ボウリングの女王”、中山律子プロ。
1960年代後半に始まった日本のボウリングブーム。1969年に日本女子プロボウラー1期生としてデビューした中山律子プロが一躍女王に躍り出たのは1970年8月のことだった。日本女子プロボウラー初のパーフェクトゲーム達成の大快挙。その後、テレビCMに出演し「さわやか律子さん」の名は一世を風靡した。翌年、ボウリングブームを伝えたニュースでは女子プロのテストにミス日本から51歳の主婦まで248人が応募したことなどを伝えた。都内には午前4時にオープンするボウリング場もあり、午前3時ごろから若者たちが集まっていた。全国のボウリング場の数は1972年の約3700ヵ所をピークに、今月には622ヵ所に激減している。(日本ボウリング場協会調べ)。一方で、ブームを経験したシニア世代がボウリング場に戻ってきている。平和島スターボウル所属・越智真南プロは「みなさんと話をしながら適度な運動をして、適度に汗をかいて喜怒哀楽を楽しみながらボウリングをできるという環境がすごくうれしいと言われる」と話した。
ボウリングを楽しむシニア世代が増えている。日本ボウリング場協会が月に1回以上ボウリングを楽しむ高齢者をたたえるために「長寿ボウラー番付」を作った。横綱から前頭まで相撲のように番付化しているが、スコアの優劣ではなく年齢によって分類されている。2024年度の最高位・横綱を見ると、男性は90歳以上で283人、女性は88歳以上で272人、夫婦は170歳以上で96組。長寿ボウラーの人口は年々増えていて、1996年度は全国で54人だったのが、2024年度は9492人と1万人に迫る勢い。日本ボウリング場協会・新井裕道専務理事は長寿ボウラー増加の理由について「ボウリングは適度な全身運動になり、健康寿命を延ばすためのアイテムとしてフレイル予防としてシニア世代から支持を得ている。各地のボウリング場で『健康ボウリング教室』を開催しており、1970年代のボウリングブーム世代が戻ってきている」と話している。番組が取材した90歳男性は去年は大関だったが、今年90歳になり新横綱に昇進する予定。90歳男性にとってボウリングとは「健康の秘訣!」と即答。脳科学者・中野信子は「仲間に見られるスポーツなので、自分のことを見つめる視点を鍛えられる場面がたくさんある」とコメントした。アメリカでは年間6700万人以上が少なくとも年に1回はボウリングをするという。デーブ・スペクターは「コンペもたくさんやってるし、健康のためにやっている人もいる。良い趣味、会話もしやすい」とコメントした。6月22日の「ボウリングの日」は日本ボウリング場協会が1972年に制定。
イーロン・マスク氏が率いるスペースXの宇宙船「スターシップ」がアメリカ・テキサス州のロケット発射場で爆発した。10回目の打ち上げ実験を前にした地上でのエンジンの燃焼試験中だった。従業員や周辺住民にけが人は確認されず。スペースXは「重大な異常が発生した」と述べ、事故原因を調査している。先月の実験では船体が宇宙空間で制御不能となり3回連続で失敗している。
農林水産省は「随意契約の備蓄米が全て販売された後の在庫量が15万tの見込み」と明らかにした。小泉農林水産大臣は「令和6年産が2万t、、5年産が2万t、3年産が1万t、2年産が10万t」と発表。備蓄米の在庫は91万tに販売中止の5万tを加えた96万tから入札31万tと随意契約50万tを引いた15万tになる見込み。ミニマムアクセス米は災害時などに備蓄米だけで足りない場合に活用される。
日本製鉄はUSスチールの買収をめぐりバイデン前大統領らを訴えた行政訴訟ついて取り下げることを明らかにした。日本製鉄・橋本英二会長は「いい意味で解消した」とコメント。日本製鉄はことし1月、バイデン前大統領による買収禁止命令は「不当な政治介入だ」などとして命令の無効を求め提訴。SUスチールの買収が完了し「目的を達成した」として訴訟を取り下げる方針。一方アメリカの鉄鋼大手・クリフス社などに損害賠償などを求める訴訟については「相手の出方もよく見たうえで決定していく」としている。TVプロデューサー・デーブ・スペクターは「結果的にウィンウィン。取り下げがベスト」とスタジオコメント。