音楽バンド、チューリップの財津和夫さん。チューリップの50周年記念ツアーの成功を祈るため1月、福岡市内の神社に初詣に来ていた。チューリップとして最後という今回のツアー。7月最終日を故郷、福岡で迎えた。最終日までの日々に密着。
6月中旬、財津和夫さんは福岡・天神を訪れた。ここ数年、天神ビッグバンで町並みが大きく変わっている。一方でデビュー前から変わらず残っていたのが天神ビルだった。チューリップは福岡で結成し上京。1972年にデビュー。しかし財津さんがボーカルを務めたデビュー曲、次の曲とヒットしなかった。後が無い中で生まれたのが「心の旅」。メンバーの姫野さんがボーカルを務め大ヒット。一躍人気バンドとなった。財津和夫さんは「本当は僕が歌う予定だったが姫野くんが歌って大ヒットし、もう一回自信喪失しいろんなことを考えさせられた。いまとなってはこの曲は僕らの基礎を作ってくれた始まりの曲」などと話した。その後、次々のヒット曲を出すも1980年代、メンバーが次々に脱退。1989年に一度は解散に追い込まれた。1997年再結成するも試練が立ちはだかった。2014年、ギターの安部俊幸さんが他界。さらに2018年のツアー中に財津さんに大腸がんが判明。公演を中止せざるを得なかった。病を克服したどり着いた50周年節目のツアー。メンバーの殆どが70代、財津さんは今回のツアーを最後にしたいと伝えた。そして2022年、コロナ禍で最後の全国ツアーが始まった。去年7月にファイナルを迎えたが財津さんの強い希望でアンコール公演を行うことを決めた。
ここ数年、財津さんは福岡で活動することが増えた。5年前から一般の人向けの作詞講座だった。受講生が書いてきた詩を批評したり作詞のテクニックを教えたりしている。最後の場所に選んだのも故郷、福岡の会場だった。7月19日、ツアー最終日。最後のステージが始まった。終盤、財津さんはバンドのターニングポイントについて語り始めた。最後の曲を終えステージから去ったが、鳴り止まない拍手に応えメンバーが再びステージへ戻った。その時、10年前に亡くなった安倍さんのギターもステージの中央へ置いた。最後は全員で「心の旅」を合唱した。財津さんは「清々しい気持ち。花鳥風月をめでながら生きていきたいと思います」などと話した。
6月中旬、財津和夫さんは福岡・天神を訪れた。ここ数年、天神ビッグバンで町並みが大きく変わっている。一方でデビュー前から変わらず残っていたのが天神ビルだった。チューリップは福岡で結成し上京。1972年にデビュー。しかし財津さんがボーカルを務めたデビュー曲、次の曲とヒットしなかった。後が無い中で生まれたのが「心の旅」。メンバーの姫野さんがボーカルを務め大ヒット。一躍人気バンドとなった。財津和夫さんは「本当は僕が歌う予定だったが姫野くんが歌って大ヒットし、もう一回自信喪失しいろんなことを考えさせられた。いまとなってはこの曲は僕らの基礎を作ってくれた始まりの曲」などと話した。その後、次々のヒット曲を出すも1980年代、メンバーが次々に脱退。1989年に一度は解散に追い込まれた。1997年再結成するも試練が立ちはだかった。2014年、ギターの安部俊幸さんが他界。さらに2018年のツアー中に財津さんに大腸がんが判明。公演を中止せざるを得なかった。病を克服したどり着いた50周年節目のツアー。メンバーの殆どが70代、財津さんは今回のツアーを最後にしたいと伝えた。そして2022年、コロナ禍で最後の全国ツアーが始まった。去年7月にファイナルを迎えたが財津さんの強い希望でアンコール公演を行うことを決めた。
ここ数年、財津さんは福岡で活動することが増えた。5年前から一般の人向けの作詞講座だった。受講生が書いてきた詩を批評したり作詞のテクニックを教えたりしている。最後の場所に選んだのも故郷、福岡の会場だった。7月19日、ツアー最終日。最後のステージが始まった。終盤、財津さんはバンドのターニングポイントについて語り始めた。最後の曲を終えステージから去ったが、鳴り止まない拍手に応えメンバーが再びステージへ戻った。その時、10年前に亡くなった安倍さんのギターもステージの中央へ置いた。最後は全員で「心の旅」を合唱した。財津さんは「清々しい気持ち。花鳥風月をめでながら生きていきたいと思います」などと話した。
住所: 福岡県福岡市中央区天神2-12-1 天神ビル
URL: http://www.kyumen.co.jp/rental/tenjin.html
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