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「女川向学館」 のテレビ露出情報

東日本大震災の被災地の宮城・女川町で15年にわたり子どもたちの居場所を作ってきた女川向学館。存在に救われた佐藤さんが久しぶりに訪れた。震災を経験したのは小学5年生のとき中学に入ると集団行動に馴染めず別室登校が続いた。寄り添ったのは芳岡さんたち。先生ではない理解者。その距離感に救われたという。冬休み前の終業式。児童が向かった先は放課後児童クラブ。クリスマス会が行われた。女川向学館の仕事の1つで街から委託されている。熊谷さんは3年前に女川向学館のスタッフに採用された。スーパーの社員をしていたがボランティアの先輩に誘われ女川向学館を見学。スタッフと子どもの距離感に心惹かれ採用を希望した。親でも先生でもないナナメの関係を何よりも大切にしている。実家は涌谷町。被災地の子どもに寄り添う事ができるのか不安もあったが家族も応援してくれた。妻・瞳さんのお腹には新しい命が。初めての赤ちゃん。東日本大震災15年を迎える年。女川向学館も転機を迎える。子どもから会費を取らない運営を支えてきたのは街などから出る委託費や寄付金。委託費の財源には国からの復興交付金が使われてきたが震災15年を区切りに終了が決まっていた。今後は街が単独で予算を出すかが鍵となる。中学生にとっても大切な時期がやってきた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年6月22日放送 1:28 - 2:28 TBS
ドキュメンタリー「解放区」海辺のいばしょ〜女川向学館とナナメの関係〜
東日本大震災の被災地の宮城・女川町にある女川向学館。児童館でも学習塾でもない子どもたちの居場所。漁業と観光が基幹産業の街で女川向学館は15年前に作られた。きっかけは東日本大震災。代表の芳岡さんは震災をきっかけに移り住んだ。2011年3月11日、地震の揺れは震度6弱を観測。高さ約20mの津波が襲い、全半壊した住宅が3273棟。目に止まったのは仮設住宅を出て地面[…続きを読む]

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