藤原道長の子息である頼通は平等院鳳凰堂を建立した。併設された博物館内には阿弥陀仏が迎えに来る来迎図が展示されている。生前の信仰、行いによって往生は9ランクに分けられると考えられ、冨島義幸教授は頼通が願ったのは中ランクの往生と推理する。釈迦が亡くなってから1500年が経過すると、世界は末法に覆われると考えられていた。釈迦の教えが力を失い、だれも極楽へ往生できなくなるとされ、平安時代の1052年がその始まり。当時、放火に強盗、飢饉、厄災が頻発していた。宇治川をはさみ、同時期に建立されたのが宇治上神社。宇治川はあの世との境界に見立てられ、神社の対岸から極楽浄土を象徴する平等院鳳凰堂が遠望できたという。沈みゆく夕日に照らされた鳳凰堂は神々しさを感じさせる。頼通は極楽浄土に行けるのかという不安を抱えつつ、イメージトレーニングを行っていたのかもしれないという。
住所: 京都府宇治市宇治山田
