- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 小山聡子
今回、平安時代の終活ブームを特集。
- キーワード
- 平等院鳳凰堂
オープニング映像。
「阿弥陀聖衆来迎図」では今際の際にある人を極楽浄土へ連れて行こうと阿弥陀仏が迎えに来る様子が描かれている。臨終間近の人は合掌した手に糸を握り、阿弥陀仏によって極楽浄土へ行くことができると確信していたという。平安時代には阿弥陀仏によるお迎えを再現した「迎講」が始まった。阿弥陀仏による救済という信心、往生を日頃からイメージトレーニングしておくことが重要とされた。
迎講が行われている弘法寺では鎌倉時代の仏像を今でも使っているという。迎講をはじめ、往生のために様々なことが行われ、鼻毛を抜くというものもあったという。サークルも結成され、メンバーは定められた日に念仏したりしていた。
藤原道長の子息である頼通は平等院鳳凰堂を建立した。併設された博物館内には阿弥陀仏が迎えに来る来迎図が展示されている。生前の信仰、行いによって往生は9ランクに分けられると考えられ、冨島義幸教授は頼通が願ったのは中ランクの往生と推理する。釈迦が亡くなってから1500年が経過すると、世界は末法に覆われると考えられていた。釈迦の教えが力を失い、だれも極楽へ往生できなくなるとされ、平安時代の1052年がその始まり。当時、放火に強盗、飢饉、厄災が頻発していた。宇治川をはさみ、同時期に建立されたのが宇治上神社。宇治川はあの世との境界に見立てられ、神社の対岸から極楽浄土を象徴する平等院鳳凰堂が遠望できたという。沈みゆく夕日に照らされた鳳凰堂は神々しさを感じさせる。頼通は極楽浄土に行けるのかという不安を抱えつつ、イメージトレーニングを行っていたのかもしれないという。
平等院鳳凰堂に安置された阿弥陀仏の後ろ側にある絵画を紹介。阿弥陀仏、菩薩が迎えに来る様子は描かれていないが、堂内の阿弥陀仏、菩薩の彫刻で来迎を表現しているという。末法が始まったとされる頃、政治制度にはほころびが生じ、各地では力をつけた武士が台頭するなど時代の転換点といえた。
末法が始まる約70年前、貴族たちに読まれたのが「往生要集」。人々がどうすれば往生できるかハウツーが記され、冒頭部分では地獄の様子が事細かに描写されている。作者の源信は若くして出家し、比叡山で修行に打ち込んだ。仏教講義で多くの褒美を貰い受けると、故郷の母親に送り届けた。だが、母の願いは出世して著名な僧侶になってもらうことではなかった。源信は仏典を渉猟し、修行によって仏を眼前に見る「観想」を重視した。観想を手助けするイメージトレーニングとして、あらゆる仏典から正しい仏の姿形を抽出し、解説をつけた。宗教学者の釈徹宗氏は「地獄の描写を丁寧に書いたことも浄土に生まれたいという思いへ導くためだった」と話す。往生要集では仏、極楽の姿のほうが地獄の描写よりも精緻だという。
迎講も源信がまとめた「往生要集」をもとにしているとされる。ただ、観想は常人には難しく、阿弥陀様の名前を唱えるだけで極楽浄土に行けるという”称名”が広まった。往生に向けた臨終行儀は必要ではないという考えも生まれたが、なくなることはなかった。現代に伝わっているものもあるという。小山聡子氏は「今の終活では生前整理、遺産と物理的な面に注目されがちだが、心の面でどう死と向き合うべきか考えていかないといけない」などと語った。
「歴史探偵」の次回予告。
