- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 馬渕明子
今回はジャポニスムを特集。大河ドラマ「べらぼう」に登場する喜多川歌麿らの浮世絵が西洋へわたり、ゴッホやモネなどの画家たちに影響を与えたムーブメント。
オープニング映像。
幕末に日本が開国し、美術品が欧米に輸出されるようになった。1860年代から1900年代まで欧米でジャポニスムは続いたとされる。
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- ジャポニスム
フランス国立図書館には葛飾北斎や喜多川歌麿をはじめ多くの浮世絵が所蔵され、その質と量は世界屈指とされている。浮世絵の他、日本の着物もヨーロッパにもたらされ、人々を魅了したという。パリの有名百貨店では日本の美術品を取り扱っていた。劇場では三代目広重が描いた浮世絵が貼られた団扇が顧客に配られたという。値段は安く、異国情緒あふれる絵と色彩は人気を博し、宣伝効果もあった。最盛期には年間50万本がフランスに輸入されたという。日本の美術品は上流、中流女性の部屋を飾る装飾品として用いられ、クロード・モネが描いた「ラ・ジャポネーズ」に注目すると、部屋の壁に多くの団扇が飾られている。
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- オペラ座図書館・博物館クロード・モネジャポニスム学会パリ(フランス)フランス国立図書館ラ・ジャポネーズリヨン織物装飾芸術博物館喜多川歌麿[初代]団扇を持つ高島おひさ富嶽三十六景東海道五十三次歌川広重[2代目]葛飾北斎[初代]
日本の美術品が飾られた部屋をCGで再現した。色彩や図柄が変化に富んだ着物は加工してカーテンにし、団扇はアトランダムに壁に配置していた。西洋では肖像画など左右対称に配置するのが原則だったというが、19世紀末に崩れていった。フランス革命が終わり、市民の時代が到来しても、室内の装飾は王侯貴族時代の厳格な文法に基づいていたという。それを打破したい、自分好みの部屋にアレンジしたいという思いに日本の美術品がマッチしたという。
日本趣味の流行のきっかけは1967年に開催されたパリ万博とされる。日本のブースには茶室がもうけられ、芸者たちが日常生活を再現した。
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- パリ万国博覧会
オペラ「黄色い王女」では絵に描かれた日本女性に恋をする若者が登場する。劇中曲の歌詞には日本語が含まれている。また、モネの「ラ・ジャポネーズ」、ルノアールの「エリオ夫人」を見比べると、前者に描かれている女性は着物をコスプレ感覚で着ているようだが、後者では着物を普段遣いする女性がいる。kimonoはフランス語で室内着を意味する。女優の川上貞奴がパリ公演で着物姿を披露すると人気を博し、着物風の室内着「キモノ・サダヤッコ」が制作された。また、コルセットで細いウエストを強調するのが主流だったが、浮世絵をコレクションしていたマドレーヌ・ヴィオネは着物からインスピレーションを受けたデザインを発表。直線的かつ簡潔で、現代の衣服の源流ともいえるという。
パリ万博の年につくられたフランス製の食器セットが用意された。葛飾北斎が描いたモチーフを集めた絵手本における鶏、ハゼが皿に描かれていた。
東京都美術館にて「ゴッホ展」が開催中。長年にわたってゴッホを研究する圀府寺司名誉教授によると、ゴッホは浮世絵の熱心なコレクターでもあり、画家として刺激を受けていた。「種まく人」は歌川広重の「亀戸梅屋舗」を彷彿とさせる構図だという。実際に模写もしていた。だが、ゴッホは黄緑の空、紫の大地など強烈で大胆な色使いで、独自ある作品に高めていた。クロード・モネは庭に太鼓橋、スイレンなど日本風のものを集め、散歩を楽しんでいたという。オランジュリー美術館には代表作「睡蓮」で囲まれた間がある。馬渕明子さんはパリで刊行されていた雑誌に注目。1910年に開催された日英博覧会に関する記事があり、西本願寺の菊の間が写真付きで紹介。菊の襖絵で四方を囲まれ、視点を移動させることで庭を見ながら散策しているようだという。モネは枝垂れ柳越しに見る睡蓮、水面に映った雲と睡蓮など様々な情景を描き、美術館の壁をカーブさせることで睡蓮に囲まれる没入感を高めた。
馬渕明子さんによると、ゴッホなど印象派の画家たちは浮世絵を模倣し、習得した大胆な構図や感覚を制作に活かしつつ、自分らしい表現に到達したという。馬渕さんは「自信があれば、いろいろなものが入ってきても自分の核は崩れない」などと語った。
「歴史探偵」の次回予告。