危機に陥った倭王・讃は150年ぶりとなる中国皇帝への使者の派遣を決めた。東洋大学の森教授は倭王・讃が宋を味方につけようとしたのは東アジアを見据えたグローバル戦略だった、死活問題として外交が重要な時期だったと指摘した。この頃中国では北の北魏と南の宋が覇権を争っていた。高句麗が北魏と手を結べば宋にとって軍事的脅威となるが、倭国が高句麗を撃破すれば脅威は低下すると考えられる。倭国の王は皇帝から安東将軍の将軍をもらい、さらに朝鮮半島南部の軍事権も与えられた。
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