かつては多くの日本代表選手が高校サッカー出身だったが、現在は少数派。クラブユース、大学サッカー部が多数を占めている。柿谷氏も「大学とプロの差がない」と話す。平山相太氏は国見高時代、休日は2日未満だったといい、柿谷氏は「それだったら、サッカー辞めてます」と驚嘆した。そんな柿谷氏は16歳という若さでプロデビューし、07年のU-17杯でスーパーロングシュートを決めてみせた。平山氏はアビスパ福岡、FC東京からオファーがあったが、筑波大学への進学を決断。大学を中退し、海外でプロデビューを果たした。現役引退後、仙台大学で教員、サッカー指導を行っている。
柿谷氏はセレッソ大阪の下部組織でプレーしていた当時、トップチームの選手たちを近くから見ることができた。鹿島アントラーズユースでは柳沢敦氏が指導者を務めるなど、クラブの黄金期を支えた逸材たちが起用されていた。大学サッカーについて、平山氏はスポンサーからの資金をもとにプレーする環境を充実させていると話す。三笘薫をはじめ、大学出身の選手たちの活躍様様だという。また、大学では他競技、栄養学や心理学といった専門知識に触れることができ、平山氏は走り方を教授してもらったという。
明治大学サッカー部を取材した際、栗田大輔監督(当時)は報恩、人間性について選手たちに説いていた。平山氏は自身の大学時代と比べ、「今の大学生は本当に真面目。ピッチ外の生活も意識している」と語った。柿谷氏は現役生活の終盤、大学サッカー出身の選手たちが休日でも練習場に来てトレーニングしたり、食事に誘うと、「お酒があるなら行かないです」と言われたという。
柿谷氏はセレッソ大阪の下部組織でプレーしていた当時、トップチームの選手たちを近くから見ることができた。鹿島アントラーズユースでは柳沢敦氏が指導者を務めるなど、クラブの黄金期を支えた逸材たちが起用されていた。大学サッカーについて、平山氏はスポンサーからの資金をもとにプレーする環境を充実させていると話す。三笘薫をはじめ、大学出身の選手たちの活躍様様だという。また、大学では他競技、栄養学や心理学といった専門知識に触れることができ、平山氏は走り方を教授してもらったという。
明治大学サッカー部を取材した際、栗田大輔監督(当時)は報恩、人間性について選手たちに説いていた。平山氏は自身の大学時代と比べ、「今の大学生は本当に真面目。ピッチ外の生活も意識している」と語った。柿谷氏は現役生活の終盤、大学サッカー出身の選手たちが休日でも練習場に来てトレーニングしたり、食事に誘うと、「お酒があるなら行かないです」と言われたという。