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「真人さん」 のテレビ露出情報

太宰府天満宮から車で20分の住宅街にある「ギャラリー宏介」。脱サラし画家の弟と起業した太田信介さん。今では年に6回ほど各地で古典を開催。熊本市では約250人が来場。アトリエの宏介さんは、制作中に歌やアニメのセリフを口ずさむ。大型の作品の場合、まず紙の上で配置を決めてからキャンバスへ。何度も塗り重ね最後に線描きするのが宏介流。3か月ほどかけて仕上げる。元々は両親が年に1度個展を開いていた。それを生かしたい、親が亡き後も経済的な自立も踏まえそういうことができればいいなという気持ちもあり起業。兄弟の挑戦は注目され展示会のオファーも増え、高級家具メーカーから会場を提供されることも。今回の目玉はゴリラの親子。会場では、宏介さんは展示会でライブアートを行う。遠征先での食事も宏介さんの好みに合わせる。
信介さんは若い頃、弟の存在を隠していた。友人が来ないように遠方の高校に進学し、大学時代は熊本市で一人暮らし。気持ちが変化したのは就職後。管理職をしてプレッシャーの中、家に帰ってきたとき絵を通じて弟の絵に励まされる自分に気付いたという。宏介さんが器用であることに気づいた母は、10歳から絵画教室に通わせた。一方兄の信介さんたちのことをあまり構ってあげられず「ごめんね」と思っていたという。信介さんも、親も悩んでると思ってたので不安や悩みは一度も言ったことがないという。障害者の兄弟として誰にも言えない悩みを抱えていた信介さん。同じ境遇の人々を支えたいと、2017年に「福岡きょうだい会」を立ち上げた。それは観客の「お兄さんは結婚されてますか?」という質問がキッカケ。障害者に理解ある伴侶を得た信介さん。しかしうまくいく話ばかりではないという。
小川洋子さんは2018年に福岡きょうだい会のメンバーになった。地元の名門校に進学し、趣味の社交ダンスでも高い評価を得たが母は娘に無関心。母親から褒められた経験がなく、健常者のきょうだいがどんなものかがわからないという。弟のことはきょうだいではなく保護者として見ているという。弟が理由で恋人と別れた経験もある。父についで母が他界。親なき後に直面したとき、衝撃的な事実を知る。遺品整理してたら思い出グッズが出てきて、殆ど弟の成長記録などで、小川さんのものは連絡帳1冊だけだった。一方で母は弟の障害年金の手続きもしておらず、全てが小川さんの肩にかかってきてそこで初めて怒りが湧いてきたという。専門家は、家族のためには美談になりがちだがそうではないという。障害者のきょうだいへの負担はネガティブな感情を生み出してしまうと指摘。きょうだい達を励ますときにも注意が必要。親亡き後、弟はグループホームに入所。新しい一歩を踏み出した小川さん。遺品整理をキッカケに断捨離を勉強し、トレーナーの資格を取った。休日はオンラインで講座を開いている。長い間弟中心の人生を送ってきた小川さん。常に自分ありきで考えることに気がついたという。小川さんにとってきょうだいとは、健常者のきょうだいがわからないので羨ましいと思ったことがないという。そう思わないと今までの自分の人生を全否定しそうな気がするからだという。2023年に早稲田大学の通信教育課程に入学。2年目の履修科目に障害者の心理学を選んだ。小川さんはきょうだいの人生を全部背負う必要はないと考えている。
公私ともにバディを組んでいる太田兄弟。母と同居している宏介さん。自分で身の回りのことはできますが一人暮らしは心配です。信介さんはきょうだいとの同居は考えていない。信介さんがきょうだい会の仲間に伝えたいのは自分が何もかも責任を持たないといけないと思うと生きづらさだけが残るということ。自分の子どもや奥さんがどう思うのかを一番に考えて欲しいという。年に一度の全国きょうだいの会総会が福岡市で行われ各地から障害者のきょうだいたちが集まった。きょうだいと一口に言っても年上か年下かで苦労も違います。兄と手をつなぐ母の前で健気に笑う涌本祐子さんの写真。母の負担を減らすため保育園にも預けられた。母から身だしなみなどを教わっておらず保育士に厳しく指導されたが親には怒られたことを知られたくないと思ったという。しっかり者であり続けた反動で今でも4歳の自分が出てきて泣いてしまうことがある。障害者の妹として育った八尾香織さんの親は優等生であることを求めた。妹には期待を、兄には愛情をかけた両親。いつか自分の方を見てほしい、一番愛される存在になりたいと思ったが未だにそう思えたことはないと話した。きょうだいの数だけ思いがあるのです。

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