小湊鉄道は全長40キロ、地元の人の交通には欠かせないがm人口減少などもあり利用する人はピーク時の3分の1まで落ち込んだ。そこで3代目社長である石川さんは改革に乗り出した。そこで石川さんは目玉施設を作ることに。まず足湯を作り、市原市と協力しアートなトイレを作った。しかし乗客増には繋がらず、一部の路線を廃止することを考えるところまで追い込まれた。そんな時、沿線に住む松本靖彦さんは駅の周囲が荒れていることに気がついた。そこで松本さんは沿線の環境を整える。それに呼応したように、1人また1人と景観を保つため、沿線一体で100人以上の人たちが草刈りなどをしてくれた。そこから菜の花を植える活動にもつながった。活動した人たちは「故郷の景色を取り戻したい」という思いを持っていた。そんなある日、石川さんは路線作業用のバイクに乗ると景観の楽しさ、懐かしさを感じたという。「こうした風景に価値がある」と感じ観光列車の運行を始めた小湊鉄道。さらに駅前のアスファルトを剥がし、森に戻した。ある日、駅舎に地元の人達が菜の花を運んでくる。さらにはお弁当作りも始まり乗客に販売する。こうした費用は地元の人達の持ち出しだという位。松本さんは「田舎だけど、この景色はお金を出しても見られない」と語る。日常の風景こそが小湊鉄道の、地元の宝だった。