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「小牧・長久手の戦い」 のテレビ露出情報

農民・豊臣秀吉、弟・秀長兄弟について静雄赤大学名誉教授・小和田哲男が解説。小和田は「弟は普通の農民。秀吉が信長に認められ出世したとき、白羽の矢が立った。小一郎長秀という名で出てくる。秀吉に仕えたのではなく、信長に仕え、信長から長をもらったからだろう」「越後の上杉謙信との手取川の戦いで、秀吉が柴田勝家と意見対立して先生から勝手に帰っちゃう。軍律違反で信長から謹慎を命じられる。秀長が黒田官兵衛と交渉、地盤がためをした」と説明した。秀長は山陰側、秀吉は山陽側の攻略を担当。信長の死後、秀信に名前を変えたとみられる。小和田は「天正11年賤ヶ岳の戦いに注目」「秀吉が岐阜城。現場を明けたところ秀吉が戻るまで守リ待った」「秀長あっての豊臣政権」「秀長は溜め込むタイプ」「秀吉は暴走タイプ。秀長は抑えるタイプ」「秀長がなくなった後晩年の暗黒事件、千利休を切腹させる、豊臣秀次を切腹させる。文禄・慶長の役、豊臣政権の悲劇に続く」と話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月25日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
長宗我部元親が家督を継いだ頃、8人の豪族がしのぎを削っていた。そのなかで長宗我部氏は最も石高が低かったが、一代で四国を制覇することとなる。

2024年9月15日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
看護師・中嶋さんのお宝は「豊臣秀次の書」。
豊臣秀吉は甥の豊臣秀次を出世や勢力拡大に利用。宮部継潤を味方につけるためまだ4歳の秀次を養子という名目で人質に出した。宮部が秀吉の輩下に入ると秀次は三好康長の元へ再び養子に出された。信長自害後は秀吉の家臣団の一人に迎えられた。教養豊かだった秀次は朝廷や公家の接待役としても重用された。天正19年、秀長の病死と鶴松の[…続きを読む]

2024年8月5日放送 7:00 - 7:50 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
織田信長の後継者争いをめぐって起きた小牧長久手の戦い(1584年)の際、秀吉から弟・秀長へ宛てた書状が長野・須坂・田中本家博物館で見つかり、東京大学史料編纂所の研究者による調査で確認された。村井祐樹准教授は「これまで出ていなかったが、自分の弟を重要なポイントに派遣したことなどからが史料からわかる。若い時代に秀吉から秀長へ出された書状の原本は2、3点しか残って[…続きを読む]

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