- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 立川志の八
きょうのゲストは、落語家の立川志の八。1974年、神奈川県横浜市生まれ。2000年、25歳を過ぎて立川志の輔に入門。2017年に、真打昇進を果たした。ことし4月、以前から親交のあった彬子女王がパーソナリティを務められたラジオ番組に出演し、アシスタントを務めたことで注目を集めている。
立川志の八のお宝は、刀の縁頭。江戸時代中期の金工家・浜野矩随の作品だという。ヤフオクで、3万円ほどで購入したという。本人評価額は、30万円。鑑定結果は、1万5000円だった。浜野矩随の作品ではない偽物だという。出来はよく、本物なら30万円になるという。
新潟・上越市の丸山秀一さんは地元愛が強いのだといい、上越市の城である高田城の模型を全て手作りで作り上げたという。15年前に町内の祭りが中止となると、子供を喜ばせるために紙と木だけで屋台の模型を作ったのが始まりだといい、高田城は本物の写真を撮影したうえで平面図を作り、軒垂木と軒瓦は本物と同じ数になっている。帰社後に2時間ずつ組み上げて6年という年月をかけたという。そして、依頼品は地元・上越市出身の富岡惣一郎による油絵だが、描かれているのは大分・久住高原だといい「月と久住高原」という題名となっている。オークションで7万円という額で手に入れたのだという。
富岡惣一郎は南魚沼市・トミオカホワイト美術館の名前にもあるように、白という色に惹かれた洋画家となっている。場所として南魚沼市を選んだ理由についても「名峰・八海山が激しく私を呼んだから」と明かしていた。1922年に高田市で生まれ、高校時代は美術クラブに入り、上京して独学でひたすら油絵を描いていった。転機となったのは36歳のときで、志賀高原を訪れると19年ぶりに見た雪山の美しさに心を打たれ、純白の世界を描いてみたいと白の美しさに挑むようになった。かつては白の絵の具を世界から取り寄せたもののひび割れや変色など劣化に苦しみ続けたが、缶に入れて1年以上熟成された絵の具を使うと理想的な白をようやく手に入れ「トミオカホワイト」と名付けられた。道具にもこだわりが見られ、パレットナイフは10cm~1mを超えるものまで12本を扱い、刀鍛冶に依頼した特注品となっている。「抽象・ブラックライン」などの作品で注目を集めると、1965年には会社を退職して渡米した。華やかなポップアートがもてはやされた当時のニューヨークでも白の世界は東洋の白と評価された。7年後に帰国した富岡は全国を巡り日本独自の自然美を探し求めるとともに、雪舟の「天橋立図」にみられる俯瞰の構図に触発されヘリコプター・セスナ機からの撮影を題材に雄大な自然を描いていった。中でも「信濃川・卯の木 A」など信濃川シリーズは純白の大地をうねりながら流れる真っ黒な信濃川の力強さ、雪に埋もれた木々の生命力が引き出されている。65歳を過ぎると色彩を用いた作品も増えていき、まばゆい光を放った刹那消えていく花火の光を描いた「花火・長岡 A」や夕焼けの中で色づく雲を描いた「雪雲・夕・槍ヶ岳」などの作品も見られ、一瞬しか見ることのできない姿を画面に焼き付けていった。そして、最後に発表されたのは「星・ブラック」「星・ホワイト」という2つの作品で、無機質な星の中でMy heartと呼ばれたピンクの点が魂のように白黒の中に輝く様子が見られる。そして、依頼品は「月と久住高原」と言うもので、雪に覆われた高原にうねるような黒の線が迫るような力強さがあり、さり気なく照らし出す月の存在がみられる。一方で依頼品に無数の亀裂が作品に目立つのは気がかりとなる。
今回の舞台は愛知県の北西部に位置する小牧市。ランドマークは市の中心部にある標高86mの小牧山。戦国時代、豊臣秀吉と徳川家康が直接対峙した小牧・長久手の戦いの舞台として知られる。全国的に知られる名古屋コーチンは明治時代この地に誕生した。通常よりも長く飼育されるため肉は歯ごたえがあり、噛めば噛むほどうま味が溢れてくる。名古屋コーチンを使ったすき焼き・ひきずり鍋。さらに高級品である卵を使ったプリンも大人気。
自宅が愛知県の近代化遺産になっている塚原立志さん。昭和9年、祖父が手織物工場に自宅と洋風の事務所を建てたのが近代化遺産に指定されている。お宝は山本五十六の書。来歴は判然としないが、祖父は手織物を軍に納品しており、軍関係者と懇意であったこと。また、この額が客間の天井と鴨居の間にピッタリ収まることから、祖父が家を建てる時に山本五十六に依頼したのではないかと推測。本人評価額は56万円。結果は偽物で1000円。
柳田美智子さんのお宝は尾形乾山の角皿。乾山は江戸時代の京焼の名工で、大芸術家・尾形光琳の実弟。中央に芥子の花、その周りに和歌が描かれている。祖父の家の蔵に人知れず眠っていたもので、50年前、ある出来事をきっかけに発見。泥棒が入った時に蔵の中を整理した際、盗まれず奇跡的に残っていたのがこの皿であった。去年この番組に偽物の乾山の角皿が登場。乾山の角皿には書と絵が描いてあると言われていたことから応募。本人評価額は100万円。
安江里美さんが持ち込んだのは父がハワイで一目惚れして購入したクリスタル製の鷹の置物。本人評価額は父が言っていた1000万円で、結果はアメリカで一般的な記念品であるため1万円だった。
住職の足立誠さんが持ち込んだのは親戚が婦人運動家の市川房枝という旧家の檀家さんから感謝の気持としてもらった江戸時代初期の大名茶人、小堀遠州の書状。本人評価額は30万円で、結果は加賀藩前だけの家老、本多政重を茶に誘ったことへのお礼の手紙への返信という本物の書状で60万円だった。
依頼人は、東京・目黒区の関戸さん。株式投資で儲けたお金で、美術品を収集してきた。今回のお宝は、柿右衛門様式の皿。酒井田柿右衛門の窯が中心となって、海外への輸出向けに制作された柿右衛門様式。ヨーロッパでは、中国製の磁器を珍重していたが、明王朝の崩壊で磁器の輸入が困難となり、オランダ東インド会社は、日本の伊万里焼に目をつけた。柿右衛門様式の磁器は、薄くて軽い。皿や鉢は、ろくろ引きした生地を型にかぶせて成形する。型を精巧に作り上げ、量産に成功した。壺などには、薄い粘土板を貼り合わせる板作りという技法が用いられた。最大の特徴は、濁手と呼ばれるコメの研ぎ汁のような白い生地。その上に施された絵や模様には、赤・青・緑・黄色の透明感のある上絵の具と、少量の金が使われている。ヨーロッパに輸出された柿右衛門様式の磁器は、人気を博し、ミルキーホワイトと呼ばれ、イギリスなどの王侯貴族たちを虜にした。ドイツ・マイセンでは、柿右衛門様式を手本にして磁器が作られた。依頼品は、直径約21センチ。松竹梅に鳥2羽が描かれている。当時作られた柿右衛門様式の多くは海外に輸出され、現存数はごくわずか。
依頼品は、柿右衛門様式の皿。本人評価額は、500万円。今田の予想は、350万円。鑑定結果は、350万円だった。江戸時代に佐賀・有田で焼かれた柿右衛門様式の皿に間違いないという。純白の生地と鮮やかな朱色に、余白のある構図が特徴的。17世紀末にヨーロッパに渡ったものとみられるという。
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- 有田(佐賀)
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