- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 岡田結実
本日のゲストは岡田結実さん、父はますだおかだの岡田圭右さんで1歳で子役モデルデビューし小学5年からは小学生向けファッション誌の専属モデルを務め、天才てれびくんシリーズに出演し、バラエティ番組で機転の良さと弾ける笑顔で大ブレイクした。近年は女優業にも力を入れNHK連続テレビ小説カムカムエヴリバディでは主人公の嫁ぎ先の女中を演じ注目、今年4月に結婚を発表した。
依頼人の岡田結実さんはオリックス時代の山本由伸のサインボールを紹介した。自身が始球式で投げた際に山本選手を希望してサインをもらったボールということ。本人評価額は18万円だったが評価額は15万円だった。始球式で使ったボールはほぼ出回らないので貴重、始球式でグラウンドにバウンドした使用感が出ていて良かったのでは、2022年のオリックスは26年ぶりの日本一、山本選手も最多勝・沢村賞などを受賞する活躍でドジャース移籍後からサインボール価格も上昇しているということ。
徳島県松茂町から勘場耕治さんが鑑定依頼。お宝は3年前、大阪のとあるコレクターから見せてもらったもので、10点まとめて500万で購入したという。依頼品は「マイセンの磁器人形10点」。ヨーロッパ最高の磁器メーカー「マイセン」は、18世紀にドイツ東部の都市マイセンに磁器製作所が設立された。その名を世界中に広げたのがフィギュア。パゴダドールには振り子の原理で腕や頭が動く細工もされている。その後もマイセンはアール・ヌーヴォー、アール・デコなど時代に沿った作品を次々と発表した。依頼品はマイセンの磁器人形10体で、ギリシャ神話の神が象られている。
依頼品「マイセンの磁器人形10点」を鑑定。本人評価額は2000万円。鑑定額は500万円。阿藤芳樹は「1980年頃に作られたもので、アンティークのものと発色が違う。1748年にJ.J.ケンドラーがデザインしたもので、その原型から長年作られているもの。」などと話した。
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- ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー
出張!なんでも鑑定団今回の舞台は新潟県上越市。上杉謙信のお膝元。越後上越 上杉おもてなし武将隊が街を紹介。春日山城は複雑な地形を巧みに利用した難攻不落の城。虎口は敵が侵入しにくいよう曲がりくねっている。春日山城跡の一番の見どころは本丸跡からの眺望。他にも四季折々様々な楽しみがある。春は高田城址公園観桜会、夏は日本海で海水浴、秋は越後・謙信SAKEまつり、冬はスキーにスノーボード。中でも注目の一大イベントが第100回 謙信公祭。出陣行列や川中島合戦再現は必見。今年は謙信公役として松平健が登場予定。
橋本純子さんのお宝は古い皿2点。どのくらい古いかと聞かれ、ひいおじいちゃんより前くらい?とのことで、手に入れた方法も分からないとのこと。本人評価額は50万円だが結果は15万円。今から200年くらい前の江戸時代後期に古伊万里の一種である志田焼として生まれたものだという。庶民階級の裕福な人たちの注文に応えたものだという。2枚1組で出荷されるものだが、だいたい1枚になってしまうのだという。ところが箱もあり、2枚揃っていて状態がいいなどと評価。あと100年大切にしてくださいと鑑定人はコメント。
佐藤明彦さんのお宝は与謝蕪村の六曲一双屏風。本人評価額は500万円。結果は2万円。安河内眞美は蕪村とは全く違うと指摘。蕪村の絵には諧謔みや滑稽みが根底にあるといい、ウィットに富んだ軽さが線にも出るが、お宝は線が硬いという。色も時代が浅いと指摘。その上で蕪村の屏風がもしあれば1億だと話した。
五十嵐一也は米農家でイセヒカリを作っているという。イセヒカリは平成元年に伊勢神宮の神田で発見された稲。お宝は荻焼の茶碗。手に入れたのは50年前。たまたま入った骨董店で一目惚れして手に入れたという。本人評価額は15万円。
兵庫・宝塚市の津高かおるさんはアマチュア無線が趣味だといい、大阪・関西万博の会場に設置された拠点と交信することも現在は可能なのだという。携帯などはどこかと中継するが、無線は無線機と無線機を直で繋げられるので災害時も役に立つと話したが、番組でおなじみの阿藤芳樹さんとも交信したこともあるという。そんな津高さんのお宝は安土桃山時代に活躍した千利休ゆかりの品で夫の実家に眠っていたものであるとともに、義父から話を聞いて存在を知ったものの夫は本物と信じてくれないという。そして、その依頼品は「千利休の茶杓」。
千利休は堺の商家に生まれ、少年時代から茶の湯を嗜むと、19歳で武野紹鴎に師事し宗易と号して堺の豪商らと関係を深めてきた。50歳を超えると茶の湯を政治に利用した織田信長により大名に仕えて堺を取り仕切る茶頭に抜擢され、御茶湯御政道と称したが、茶会を開くには信長の許しも必須となった。茶堂が正式な武家儀礼となる中、茶道具の名品を町衆から強制的に買い上げる名物狩りが行われ、武功を上げた家臣の論功行賞に用いられた。一国一城の価値の茶器も会ったという。1582年に本能寺の変が起き信長が死亡すると、変わって天下を取った豊臣秀吉も利休を重用し、1585年位は京都御所で禁裏茶会が開かれ正親町天皇への献茶が行われ利休は秀吉の後見を務め、利休は天下一の宗匠となったのだった。しかし、1591年に利休に秀吉は切腹を命じられた。享年70だった。背景には大徳寺に安置された雪駄をはく千利休 木像がその下をくぐる秀吉や天皇に対し不敬とされたことだったが、理不尽な理由であり真相も定かではない。そして、利休が掲げた侘茶とは空間を極限まで削ぎ落とし簡素静寂を重んじもてなす客と無言の会話を交わすというものとなっている。利休の設えた茶室「待庵」はわずか2畳となっていて、出入り口は小さい躙口となっている。茶室に入れば誰もが平等との考えがここにはあると見られる。利休は竹花入を初めて用いたとされ、大きなひび割れさえも景色とした。そして、茶杓は中国の薬匙を原型として象牙や金属を原型としてきたが、侘び茶の世界では高価なものをありがたがる価値観を否定したものとなっている。樋の深い竹を使い力強くおりためた櫂先と節裏を薄く削った蟻腰が特徴となっている。利休自ら手掛けた「竹茶杓 銘「泪」」は秀吉に切腹を命じられる中最後の茶会で用いたものとなっていて、弟子の古田織部は茶杓の筒に窓を明けて位牌の如く拝んだとされる。
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- ColBase京都御所住吉祭礼図屏風利休宗易居士木像千利休古田織部唐物肩衝茶入 銘 初花堺市博物館堺(和泉国)大徳寺大阪城天守閣大阪教育大学附属図書館奈良県立美術館待庵徳川美術館徳川記念財団日本放送協会本能寺の変東京国立博物館正親町天皇武野紹鴎泉湧寺禁裏茶会竹一重切花入 銘 園城寺竹茶杓 銘 泪織田信長豊臣秀吉邸内遊楽図屏風高台寺
そして、利休のものとされる依頼品の茶杓は樋は深く、櫂先も急カーブを描いている。節裏を削ったあり越しも利休の茶杓のように節裏が削られている。茶杓の筒には表千家五代 随流斎、箱の蓋裏には表千家8代家元 啐啄斎の極がある。
千利休の茶杓。本人評価額は100万円だったが、その評価額は2000万円。中島誠之助氏は千利休のものに間違いない、櫂先から樋が延びているのが特徴で、蟻腰も見られるとしている。随流斎の「未不主」を丸で囲んだものも存在していると紹介。箱を書いた啐啄斎は利休200回忌大茶会を開いたことで知られるとまとめた。貴重な文化財と言えるという。
お宝鑑定の依頼を募集している。宛先は106-8007 テレビ東京 開運!なんでも鑑定団係へ、住所や氏名などとともにお宝の写真・エピソードを添えて応募することで可能となる。詳しくはテレビ東京 鑑定団で検索。
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WBSは「コンビニ駐車場で”宿泊”」など。