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「千利休」 のテレビ露出情報

兵庫・宝塚市の津高かおるさんはアマチュア無線が趣味だといい、大阪・関西万博の会場に設置された拠点と交信することも現在は可能なのだという。携帯などはどこかと中継するが、無線は無線機と無線機を直で繋げられるので災害時も役に立つと話したが、番組でおなじみの阿藤芳樹さんとも交信したこともあるという。そんな津高さんのお宝は安土桃山時代に活躍した千利休ゆかりの品で夫の実家に眠っていたものであるとともに、義父から話を聞いて存在を知ったものの夫は本物と信じてくれないという。そして、その依頼品は「千利休の茶杓」。
千利休は堺の商家に生まれ、少年時代から茶の湯を嗜むと、19歳で武野紹鴎に師事し宗易と号して堺の豪商らと関係を深めてきた。50歳を超えると茶の湯を政治に利用した織田信長により大名に仕えて堺を取り仕切る茶頭に抜擢され、御茶湯御政道と称したが、茶会を開くには信長の許しも必須となった。茶堂が正式な武家儀礼となる中、茶道具の名品を町衆から強制的に買い上げる名物狩りが行われ、武功を上げた家臣の論功行賞に用いられた。一国一城の価値の茶器も会ったという。1582年に本能寺の変が起き信長が死亡すると、変わって天下を取った豊臣秀吉も利休を重用し、1585年位は京都御所で禁裏茶会が開かれ正親町天皇への献茶が行われ利休は秀吉の後見を務め、利休は天下一の宗匠となったのだった。しかし、1591年に利休に秀吉は切腹を命じられた。享年70だった。背景には大徳寺に安置された雪駄をはく千利休 木像がその下をくぐる秀吉や天皇に対し不敬とされたことだったが、理不尽な理由であり真相も定かではない。そして、利休が掲げた侘茶とは空間を極限まで削ぎ落とし簡素静寂を重んじもてなす客と無言の会話を交わすというものとなっている。利休の設えた茶室「待庵」はわずか2畳となっていて、出入り口は小さい躙口となっている。茶室に入れば誰もが平等との考えがここにはあると見られる。利休は竹花入を初めて用いたとされ、大きなひび割れさえも景色とした。そして、茶杓は中国の薬匙を原型として象牙や金属を原型としてきたが、侘び茶の世界では高価なものをありがたがる価値観を否定したものとなっている。樋の深い竹を使い力強くおりためた櫂先と節裏を薄く削った蟻腰が特徴となっている。利休自ら手掛けた「竹茶杓 銘「泪」」は秀吉に切腹を命じられる中最後の茶会で用いたものとなっていて、弟子の古田織部は茶杓の筒に窓を明けて位牌の如く拝んだとされる。
そして、利休のものとされる依頼品の茶杓は樋は深く、櫂先も急カーブを描いている。節裏を削ったあり越しも利休の茶杓のように節裏が削られている。茶杓の筒には表千家五代 随流斎、箱の蓋裏には表千家8代家元 啐啄斎の極がある。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月2日放送 21:56 - 22:00 TBS
和心百景(和心百景)
京都府長岡京市で作られている伝統工芸品「京竹工芸」を紹介。長岡京市では良質な竹を利用して、古くから様々な生活道具や茶道具が作られてきた。高野竹工の青木取締役にインタビュー。

2025年8月1日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
世界的抹茶バブルで煎茶が品薄となっている。抹茶のルーツは中国が発祥、13世紀ごろ栄西禅師が修行先の宋から持ち帰ったとされ16世紀千利休らによって茶道文化が発展しその後栽培や加工技術など日本で独自の発展を遂げた。現在抹茶を含む粉末状の緑茶の輸出額は5年で3倍超、アイルランドで抹茶を販売する男性は「日本は今後5~10年の間に生産量を10倍に増やすべき」茶葉生産農[…続きを読む]

2025年7月29日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(オープニング)
マイセン、千利休の茶杓などのラインナップがオープニング映像として流れた。

2025年7月28日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
茶道裏千家の前家元・千玄室さん102歳。海軍の元特攻隊員。1943年、日本が敗走を重ねる中、不足する兵力を補うため大学生は陸海軍へ入隊。学徒出陣と呼ばれ、大学生だった千さんも海軍に入隊。1945年3月、特攻隊員を志願。爆弾を抱えた戦闘機が艦船を目掛けて急降下する特攻。出撃すれば確実に死ぬ。千さんが我が身を重ねたのが先祖の千利休。時の権力者、豊臣秀吉の命令で切[…続きを読む]

2025年7月26日放送 18:30 - 18:56 テレビ朝日
1泊家族1泊離島の魅力を再発見!離島プロジェクト
ある偉人の末裔が暮らす鵜島で1泊させてもらう。島にはおりた姓が10人、ふくら姓が4人で、ふくら姓は村上水軍の末裔と言われている。島には店がないため2週間に1回船で買い出しに行っている。14人の平均年齢は84歳で、買い物も助け合っていた。偉人の家紋はきゅうりの断面を模したという説があり、末裔たちの家には今でもその家紋が残っている。末裔の自宅に1泊させてもらった[…続きを読む]

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