「凹凸写真」は特殊な技法で表面に凹凸をつけることで視覚障害者が手で触れて花びらを感じることができる。凹凸写真の製作者・尾崎大輔さん。普段は大学や企業の広報用の撮影を手掛けている。その傍ら、仕事として請け負っているのが凹凸写真の製作。写真のデータを特殊な白黒画像に加工。その後、立体コピー作成機で視覚障害者が触って理解できるように図面などを立体化する。人物や花、建物などどんな被写体でも対応が可能。尾崎さんは15年前から凹凸写真の製作を始めた。視覚障害者から作成を依頼された写真は約1万枚にのぼる。
尾崎さんが作った凹凸写真と出会ったことで世界が広がった人がいる。全盲の高山操さん。高山さんは病のため、26歳の時に失明した。見えなくなっても旅行に行けば写真を撮ることは続けていた。もどかしさを感じてきた高山さんだったが、凹凸写真と出会い、世界を手で感じられるようになった。尾崎さんが凹凸写真と出会ったのは24歳のとき。写真の勉強のために渡ったイギリスで出会った全盲の女性にカメラを渡す機会があった。尾崎さんはそれがすごく自然だったと話す。視覚に障害があっても写真を楽しむ方法はないか、留学を終えて日本に帰国した尾崎さんは模索を始めた。
2007年尾崎さんにある出会いがあった。山口和彦さんは25歳の時、緑内障を患い視力を失った。以後、視覚障害者の支援団体で働いてきた。偶然の出会いがきっかけで尾崎さんは山口さんと共に、視覚障害者が写真を楽しむための方法を見つける。それが凹凸写真だった。しかし最初は課題もあった。元の画像をそのまま凹凸化すると情報量が多すぎて被写体を認識できなかった。ここで尾崎さんは凹凸化する情報の取捨選択をした。不要な部分をなくすことで重要な部分が浮き立つようにした。尾崎さんには夢がある。多くの盲学校には卒業アルバムがない。卒業生のために凹凸写真で卒業アルバムをつくること。
尾崎さんが作った凹凸写真と出会ったことで世界が広がった人がいる。全盲の高山操さん。高山さんは病のため、26歳の時に失明した。見えなくなっても旅行に行けば写真を撮ることは続けていた。もどかしさを感じてきた高山さんだったが、凹凸写真と出会い、世界を手で感じられるようになった。尾崎さんが凹凸写真と出会ったのは24歳のとき。写真の勉強のために渡ったイギリスで出会った全盲の女性にカメラを渡す機会があった。尾崎さんはそれがすごく自然だったと話す。視覚に障害があっても写真を楽しむ方法はないか、留学を終えて日本に帰国した尾崎さんは模索を始めた。
2007年尾崎さんにある出会いがあった。山口和彦さんは25歳の時、緑内障を患い視力を失った。以後、視覚障害者の支援団体で働いてきた。偶然の出会いがきっかけで尾崎さんは山口さんと共に、視覚障害者が写真を楽しむための方法を見つける。それが凹凸写真だった。しかし最初は課題もあった。元の画像をそのまま凹凸化すると情報量が多すぎて被写体を認識できなかった。ここで尾崎さんは凹凸化する情報の取捨選択をした。不要な部分をなくすことで重要な部分が浮き立つようにした。尾崎さんには夢がある。多くの盲学校には卒業アルバムがない。卒業生のために凹凸写真で卒業アルバムをつくること。
