愛知・岡崎市は日本三大石材生産地の一つ。昭和2年創業の稲垣石材店を斎藤佑樹が取材。これまでにお墓を1万基以上製作している。住宅用の灯籠なども製作しており100年の歴史を誇る。四代目は稲垣遼太さん。お墓は巨大なアームで掴んで運ぶという。最近は生活様式の変化で石材の需要が減少。最盛期に78軒あった付近の石材店も40軒ほどに半減。涼太さんの父・寿さんは売り上げの差について約2分の1などと答えた。昭和初期から続く店を自分の代で閉じることを覚悟したが、遼太さんは店を守りたいと立て直しを図った。廃棄する石材を高級料理店で活用し、石で作られた食器などを販売。入社当時に昔の職人が作った石の器を発見しネット通販に出品したところ1件のレストランからお皿を作ってほしいと注文があった。店側と話し合いデザインを考案。職人の力を借りて試作を繰り返し、約1年かけて完成させた。食器にはお墓を作るときの端材を活用でコストカット。ミシュラン星つきレストランから注文も。石材店の売り上げは約4年前より1.5倍に増えた。柔軟な発想でダンベル、黒御影石のオセロ、大理石のティッシュケースなどを生み出した。発想の源は遼太さんの趣味の茶道。今も週に一度お茶会を開きお客さんに振る舞っている。遼太さんは幼い頃から店を継ぐものだと思っていたが大学卒業後に飲食店や医療機器メーカーに就職した。父の寿さんが別の道を進めたという。その理由は感覚を養うため。父の寿さんは石の魅力の伝え方が重要だと考え営業の道へ進んだ。職人の二代目・接客が得意な三代目・新事業を取り込む四代目のそれぞれが新たな挑戦をしピンチを乗り越えている。