光男さんに運転してもらい、大欠切集落へ向かう。標高557mの大欠切集落に到着。住民は3世帯。取材をしようとしたが3世帯は取材NGだった。タクシー運転手に聞き込みをすると、さらに20キロ移動したところに1人で暮らしている人がいるという。やってきたのは標高575mの面岸集落開拓地区。ここも山奥の行き止まり。出会ったのは月花スエノさん、85歳。たった1人でどんな秘境生活をしているのか密着させていただくことに。自宅でお茶を出してくれた後、水巻きをする。畑ではネギやジャガイモを育てている。自宅に戻り昼食の準備。うどん、きゅうりとしょうがの漬け物などを作った。昼食を終えると、散歩へ向かう。スエノさんは年間300日以上、午前と午後約2キロの道のりを散歩している。
昭和13年、スエノさんは現在暮らす場所から約20キロ離れた街で生まれた。中学卒業後は洋裁の学校に通う。17歳のときに両親から結婚を言い渡され、山奥の行き止まりにある開拓地区にやってきた。相手のことも知らないままに結婚が決まった。夫となる人とは結婚式当日にはじめて出会った。それが農家の長男の鉄蔵さんでとても優しい人だった。スエノさんは17歳で農家の妻になり、生活は過酷だったという。家族とともに朝から晩まで畑仕事をしていた。夫は結婚後すぐに出稼ぎへいき、帰省は盆と正月だけだった。スエノさんさは体力的にも精神的にも追い込まれ何度も実家に帰ったという。頑張ってこられたのは3人の子どもたちと、寄り添ってくれた夫がいたからだった。スエノさんは夫ともっと一緒にいたいと思ったが、70歳になるまで出稼ぎを続けた。3人の子どもたちは立派に成長し、夫婦水入らずの生活ができると思っていたとき、夫が脳梗塞になり亡くなってしまった。スエノさんが毎日歩く道は夫と歩いた思い出の道だった。
昭和13年、スエノさんは現在暮らす場所から約20キロ離れた街で生まれた。中学卒業後は洋裁の学校に通う。17歳のときに両親から結婚を言い渡され、山奥の行き止まりにある開拓地区にやってきた。相手のことも知らないままに結婚が決まった。夫となる人とは結婚式当日にはじめて出会った。それが農家の長男の鉄蔵さんでとても優しい人だった。スエノさんは17歳で農家の妻になり、生活は過酷だったという。家族とともに朝から晩まで畑仕事をしていた。夫は結婚後すぐに出稼ぎへいき、帰省は盆と正月だけだった。スエノさんさは体力的にも精神的にも追い込まれ何度も実家に帰ったという。頑張ってこられたのは3人の子どもたちと、寄り添ってくれた夫がいたからだった。スエノさんは夫ともっと一緒にいたいと思ったが、70歳になるまで出稼ぎを続けた。3人の子どもたちは立派に成長し、夫婦水入らずの生活ができると思っていたとき、夫が脳梗塞になり亡くなってしまった。スエノさんが毎日歩く道は夫と歩いた思い出の道だった。