- 出演者
- ユースケ・サンタマリア 秋元真夏 篠原涼子 ビビる大木
岩手県八幡平市で秘境人探し。八幡平市の山中には廃墟群があり、北の軍艦島と呼ばれている。過去には鉱山があり約1万5000人が生活する社宅だったという。昭和47年に鉱山が閉鎖となり、建物だけが残った。秘境人探しをすると、33キロ離れた山奥の行き止まりに大股という秘境集落があるという。タクシーで大股集落を目指す。危険なクマも出没するという山道を進むと行き止まり。標高485mの大股集落に到着。出会ったのは今松宏子さん、51歳。集落の行き止まりの一軒家で一人暮らしをしている。2匹の猫と一緒に暮らしている。家には懐かしい黒電話があった。宏子さんが寂しい時に聴くのはYOASOBI。宏子さんは現在も無職。
宏子さんは昭和47年に2人きょうだいの妹として誕生。農家を営む両親の元で何不自由なく育ったが、高校時代に母親が病で他界した。兄は家を出て独立していたこともあり、高校卒業後は父と農業をしていた。その場所がこの大股集落だった。30年間、家事と農作業を続けた。3年前に父親が脳梗塞で介護状態となった。農業をやめて自宅で父の介護に専念したが、家の前で転んでしまいそのまま亡くなってしまった。宏子さんは父としていた農業を再開しようとしている。宏子さんに秘境に暮らす人を聞いてみると、大股集落から約40キロ先に大欠切集落があるという。
大欠切集落に向かっていると中で、出会ったのが88歳の東野フヂエさん。お話をしているとご夫婦に遭遇した。山奥で秘境生活をしているということで、集落に向かう前に寄り道することに。やってきてのは標高331mの高間木集落。
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篠原涼子は昨年末、ある出来事に驚いたという。紅白歌合戦の話しがきたのに驚いたという。28年ぶりに出場し、小室哲哉の演奏で「恋しさと せつなさと 心強さと」を熱唱した。ユースケはラテンロックバンド「BINGO BONGO」のボーカルとしても活躍している。
岩手県の山奥に暮らすのは、川畑光男さんと久美子さんご夫婦。久美子さんは鹿児島出社で光男さんも以前は名古屋で生活していたという。移住の謎を探るべく生活に密着させていただく。畑ではいなきび、ヤーコン、タマネギなど約30種類を自給自足している。
篠原涼子は外国にお仕事で行ったときにパーキングエリアでトイレに行こうとして、スタッフとトイレまでどっちが早く行けるか対決をしたらが、ガラスに突っ込んでしまいたんこぶができたという。ぶつかったときに魂が抜けたと話した。
岩手県の山奥に暮らすのは川畑さんご夫婦。ご主人の光男がさんがクワを持ちトラクターで敷地内の草取りにやってきた。自宅から500m離れたとこにも畑がある。この日はキャベツ、ズッキーニなどを収獲した。妻の久美子さんは虫除けのためにマリーゴールドを植えている。収獲した野菜は井戸水で洗う。光男さんは農作業の合間に川で釣りをする。元々、鹿児島と名古屋にいたご夫婦はなぜ岩手の山奥で暮らすようになったのか?
篠原涼子が初舞台「ハムレット」でヒロインを演じた。熱演したと思っていたら、楽屋に手紙が届きダメ出しが書かれていたという。その手紙を楽屋の鏡に張って見続けていたという。
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岩手県、標高331mの高間木集落。秘境に住む川畑さんご夫婦の生活に密着。自給自足の野菜で昼ごはんの準備。野菜炒めや白菜の漬け物などが完成した。ヤーコンの葉で入れたお茶も出してくれた。夫の光さんは名古屋、妻の久美子さんは鹿児島で暮らしていた。鹿児島市内で生まれた久美子さんは集団就職で名古屋にやってきた。紡績工場で働き始めた。故郷の両親に負担はかけたくないと賢明に働いた。同じ工場で出会ったのが光男さんだった。2人は結婚を意識し始めたが、翌年オイルショックにより2人とも解雇になる。そこで光男さんの故郷である岩手県の集落で暮らすことになる。2人は移住後に結婚し、山奥での生活がスタートした。久美子さんはカルチャーショックの連続。光男さんは建築会社に就職した。久美子さんは義理の両親と農作業をすることになった。夫の支えもあり徐々に田舎暮らしに慣れていき、2人の子どもにも恵まれた。移住して約50年がたった。久美子さんはこの場所での生活は手放したくないと話す。
光男さんに運転してもらい、大欠切集落へ向かう。標高557mの大欠切集落に到着。住民は3世帯。取材をしようとしたが3世帯は取材NGだった。タクシー運転手に聞き込みをすると、さらに20キロ移動したところに1人で暮らしている人がいるという。やってきたのは標高575mの面岸集落開拓地区。ここも山奥の行き止まり。出会ったのは月花スエノさん、85歳。たった1人でどんな秘境生活をしているのか密着させていただくことに。自宅でお茶を出してくれた後、水巻きをする。畑ではネギやジャガイモを育てている。自宅に戻り昼食の準備。うどん、きゅうりとしょうがの漬け物などを作った。昼食を終えると、散歩へ向かう。スエノさんは年間300日以上、午前と午後約2キロの道のりを散歩している。
昭和13年、スエノさんは現在暮らす場所から約20キロ離れた街で生まれた。中学卒業後は洋裁の学校に通う。17歳のときに両親から結婚を言い渡され、山奥の行き止まりにある開拓地区にやってきた。相手のことも知らないままに結婚が決まった。夫となる人とは結婚式当日にはじめて出会った。それが農家の長男の鉄蔵さんでとても優しい人だった。スエノさんは17歳で農家の妻になり、生活は過酷だったという。家族とともに朝から晩まで畑仕事をしていた。夫は結婚後すぐに出稼ぎへいき、帰省は盆と正月だけだった。スエノさんさは体力的にも精神的にも追い込まれ何度も実家に帰ったという。頑張ってこられたのは3人の子どもたちと、寄り添ってくれた夫がいたからだった。スエノさんは夫ともっと一緒にいたいと思ったが、70歳になるまで出稼ぎを続けた。3人の子どもたちは立派に成長し、夫婦水入らずの生活ができると思っていたとき、夫が脳梗塞になり亡くなってしまった。スエノさんが毎日歩く道は夫と歩いた思い出の道だった。
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山奥で出会ったのは右山敏博さんと妻の志津子さん。ご夫婦が暮らしているのは熊本県の山奥。標高825mのたった1世帯の菖蒲谷集落。最寄りの病院は11キロ先、スーパーは20キロも先。ナゼ山奥の不便nな集落で生活をするのか?謎を探るべく翌日に密着させていただくことに。翌日、再び夫婦宅を訪れると手紙が貼られていた。用事があり外界へ行くとのことだった。さらに、翌日は事前に連絡して密着させていただくことに。畑ではノビル、コゴミなどの山菜を収獲。さらにチャボや名古屋コーチンなど18羽を飼育している。自宅に戻ると山菜で昼食をつくる。山菜で天ぷらやヨモギ団子を作り、ごちそうしていただいた。
篠原涼子は東京パフォーマンスドールのときのライブで早着替えをしなければならなくなったがチャック全開で観客の前に出てしまっていたことがあったという。
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熊本県の山奥で半自給自足生活をする右山さんご夫婦。なぜたった1世帯の集落で暮らすことになったの か?22歳まで会社員として働いていた志津子さん。敏博さんは林業を営む家に生まれ、29歳まで仕事一筋。2人の出会いは志津子さんの父親が集落を訪れたときに、敏博さんが嫁探しをしていたという。お見合いを経て2人は結婚。新婚生活をはじめたのがたった1世帯の菖蒲谷集落だった。3人の子宝に恵まれ、3人とも就職した。長男の隆太さんは車の整備工場で働いていた。将来は家業を継ぐために帰省する予定だったという。今から11年前のある日、家族の運命が大きく変わってしまった。
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家業である林業を継ぐために帰省した長男の隆太さん。誰からも愛される存在だったが、今から11年前のある日、伐採した大木が頭を直撃し、29歳で亡くなった。即死だったという。今でも命日にはたくさんのお酒が届くという。ご夫婦は亡き息子との思い出を胸に新たな挑戦をはじめている。
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篠原涼子が「ハイエナ」の番組宣伝をした。
長男・隆太さんが不慮の事故で他界して11年、ご夫婦は亡き息子との思いを胸に山奥で新たな挑戦をはじめている。隆太さんが山菜料理が好きだったことから、山菜料理の秘境食堂を来月オープンすべく準備を進めている。
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WBSの番組宣伝。展示会で見えたテロ対策。