長野オリンピックの後、常呂町では学校の体育を双眼鏡で観察する男が現れる。小栗は運動が得意な子を探しては「カーリングを本格的にやろう」と声をかけていた。すでに小栗ららの後押しで体育の授業にカーリングが取り入れられていた。この中に逸材がいるはずだと探した。自ら教え、道具代やリンクの使用料は小栗が負担した。ある日、小栗は1人のある少女の動きに見とれた。それが小学6年生の本橋麻里だった。本橋は友達とマリリンズを結成し大人たちの町内リーグに参戦した。小栗は小さな子どもたちの才能も見逃さなかった。ロビンズを結成した吉田知那美や鈴木夕湖は当時、小学2年生だった。鈴木夕湖の母・倫子は「絶対に叶うことはないとおもってました」などと話した。小栗が最もこだわったのは基本だった。ぐんぐん腕を上げた本橋は大人のチームからも引っ張りだこ。15歳で世界ジュニア選手権に出場。しかし本橋を待っていたのは何もない街の現実だった。高校から先、本気で競技を続けるすべが常呂町にはなかった。常呂でカーリングを続けたい、そんな子どもを松平は複雑な思いで諭した。本橋は自治体と企業が支援する青森のチームで高校の先輩と競技を続けた。2006年、常呂町は北見市と合併が決まった。この町では夢が叶わない。希望は見えなかった。