今日のギモンは「年賀状は“重い”ですか?」。来年の年賀状の受付が15日に始まるが、送るか送らないかという毎年の悩みがある。調査会社によると年賀状を送らない派が5割以上で、若い年代ほど送らない傾向にあり、年賀状を送らない理由として「SNSなどで代用できる」「準備が面倒」などが挙がっていた。今日のポイントとして「年賀状の歴史、楽しみといえば…」「年賀状じまいから復活の動き」を取り上げる。
年賀状の歴史は長く、平安時代には貴族の間で行われ、江戸時代には飛脚のおかげで年賀状の文化が広がった。明治初期になると東京~大阪間の郵便事業が始まり、明治後期になると私製はがきが認定され、身近になっていった。そして、昭和24年にお年玉つき年賀はがきが始まり、楽しみが増えた。当時のポスターには高級ミシンや学童用本皮グローブなどのくじの賞品が書かれており、当時の新入社員の月給が約3000円だったことからも約1万8000円の高級ミシンは豪華なものだった。昭和30年代になると桐たんすやポータブルテレビなど、昭和58年にはオーブンレンジが出てきた。現在は、好みが多様化していることもあり現金などに変わっている。年賀はがきの発行枚数のピークは2003年度で、この年に個人情報保護法が成立して住所録配布を辞めた企業が増え、儀礼的なやり取りを辞めていく動きに加えてSNSが主流になっていった。
年賀状じまいが増えてきたが、復活の動きがある。今年の旬は「復活年賀状」、年賀状じまいを宣言したものの寂しいなどの理由で復活したい人もいるという。印刷会社も去年は年賀状じまいの年賀状を売り出していたが、今年は復活年賀状を売り出すところもある。そこで、「伝える」プロのスタジオメンバーにどんなメッセージを添えるかというお題を出す。得意のイラストで表現したり、近況報告で愛犬の写真付きでメッセージを書くなど個性豊かなメッセージが出てきた。元日配達を希望の場合は今月25日までに年賀状を出すようにと締めくくった。
年賀状の歴史は長く、平安時代には貴族の間で行われ、江戸時代には飛脚のおかげで年賀状の文化が広がった。明治初期になると東京~大阪間の郵便事業が始まり、明治後期になると私製はがきが認定され、身近になっていった。そして、昭和24年にお年玉つき年賀はがきが始まり、楽しみが増えた。当時のポスターには高級ミシンや学童用本皮グローブなどのくじの賞品が書かれており、当時の新入社員の月給が約3000円だったことからも約1万8000円の高級ミシンは豪華なものだった。昭和30年代になると桐たんすやポータブルテレビなど、昭和58年にはオーブンレンジが出てきた。現在は、好みが多様化していることもあり現金などに変わっている。年賀はがきの発行枚数のピークは2003年度で、この年に個人情報保護法が成立して住所録配布を辞めた企業が増え、儀礼的なやり取りを辞めていく動きに加えてSNSが主流になっていった。
年賀状じまいが増えてきたが、復活の動きがある。今年の旬は「復活年賀状」、年賀状じまいを宣言したものの寂しいなどの理由で復活したい人もいるという。印刷会社も去年は年賀状じまいの年賀状を売り出していたが、今年は復活年賀状を売り出すところもある。そこで、「伝える」プロのスタジオメンバーにどんなメッセージを添えるかというお題を出す。得意のイラストで表現したり、近況報告で愛犬の写真付きでメッセージを書くなど個性豊かなメッセージが出てきた。元日配達を希望の場合は今月25日までに年賀状を出すようにと締めくくった。