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「原爆資料館」 のテレビ露出情報

天皇皇后両陛下は戦後80年にあたり、6月19日から2日間、被爆地・広島を訪問された。広島訪問は陛下の即位後初めて。爆心地の近くにある平和公園の原爆慰霊碑に献花された。陛下が初めて広島を訪問されたのは大学4年生だった昭和56年の夏。卒業論文の資料集めの旅の途中で立ち寄り、原爆慰霊碑に花を供えた。皇太子時代の平成6年には雅子様と一緒にご訪問。原爆養護ホームに足を運んで入居者と懇談された。平成8年に原爆資料館で展示をご覧になった皇后さまは誕生日会見で原爆の悲惨さについて語った。両陛下の広島への思いは長女・愛子さまにも受け継がれている。中学の卒業文集には修学旅行で訪れた広島についての作文「世界の平和を願って」を寄せられた。
両陛下は3年前に開館した「被爆遺構展示館」を初めて訪問。かつて民家や商店が建ち並ぶ繁華街で4300人あまりが暮らしていた場所。原爆により一瞬で無くなった街の痕跡を見つめ、陛下は痛ましいことですねと述べられた。両陛下は原爆資料館では被爆前後の広島の街をCGで再現した展示、子どもの遺品を見て回った。ノーベル平和賞を受賞した被団協の展示も見学された。被爆者・笠岡貞江さん(92歳)、伝承者・大河原こころさん(35歳)と懇談された。夜になると宿泊先近くの公園で約5千人が提灯を掲げて両陛下の訪問を歓迎し、両陛下も提灯を振って応えられた。
住所: 広島県広島市中区中島町1-2
URL: http://www.pcf.city.hiroshima.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月15日放送 22:00 - 22:50 NHK総合
NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争 最終回 忘れられた悲しみ
戦時中、5歳の娘を育てていた主婦・金原まさ子(当時34)。終戦直後に書かれた日記には、先行きが見えない混乱に覆われていく日本の姿を綴っていた。戦後、日本の食糧難は一層深刻なものとなっていた。終戦半月後、連合国軍による日本の占領統治が始まる。一時は不安が広がるも、人々は徐々に受け入れていく。
敗戦で社会の価値観が変わっていく中、人々の間で溝が生まれていく。帰[…続きを読む]

2025年8月15日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
1945年4月広島第一高等女学校に進学した森脇さんは広島で母親と暮らしていて父親は中国へ出征中。森脇さんには4つ上の兄がいて本土決戦に備え九州へ派遣された。8月6日森脇さんは爆心地から約800mの場所で被爆し亡くなった。森脇さんの兄は妹の生きた証を残したいと森脇さんの日記を保管してきた。兄はおととし亡くなった。森脇さんのおいは日記など遺品40点を原爆資料館に[…続きを読む]

2025年8月15日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
作家の原民喜の代表作夏の花は被爆した状況や目の当たりにした惨状が記されている。しかし、作品の発表には困難がともなった。背景にあったのはGHQが出したプレスコードで公共の平穏を害すことや進駐軍の批判は禁止された。原爆の非人道性や放射線の影響を伝えることが難しい。原民喜は原爆への批判を自主的に削除した。

2025年8月12日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタ戦後80年 つなぐ、つながる
広島で出動命令で駆り出された多くの男性たちが原爆の犠牲となり、およそ70人の妻たちが残された村がある。横丸正義は原爆で父を亡くした。広島では空襲による火災の延焼を防ぐため、建物を壊したという。母の露子は父を捜したが、見つからなかったという。川内村では70人の女性たちが夫を失った。横丸正義は母が涙を流したのは見たことがなかったなどと話した。夫を失った門前ツルヨ[…続きを読む]

2025年8月10日放送 23:00 - 0:12 NHK総合
戦争をどう伝えていくか(戦争をどう伝えていくか)
東京にある私立の男子高校で希望する生徒にVRを体験してもらった。感想や疑問を語り合う中で「広島に行こう」という声が。4人の学生が実際に広島を訪れ原爆資料館などを見学。当時の生々しい記録の数々に「覚悟が足りなかった」などと動揺する学生もいた。兒玉さんが被爆した旧広島第一中学校も訪問。同じく生き残った兒玉さんの上級生才木幹夫さんに話を伺った。才木さんは今の世界の[…続きを読む]

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