- 出演者
- 尾野真千子
ドラマやドキュメンタリーでNHKが繰り返し伝えてきた戦争。今、最新技術を使って戦争体験を伝える新たな試みが。放送開始から100年、今夜は過去の番組を振り返りながらあの戦争をこれからどう伝えていくかを考えていく。
1941年12月8日、太平洋戦争が勃発。日本軍がハワイ真珠湾を奇襲した。児童読物作家の山中恒は当時、その一報をラジオで聞いた。日本でラジオ放送が始まったのは1925年3月22日、太平洋戦争開戦の16年前。以降、スポーツや芸能など幅広いジャンルの番組が放送されてきた。しかし日中戦争が始まると政府は戦争目的のためにラジオの利用を図るとして統制を強化。国民の戦意高揚のため音楽番組では毎日軍歌が流れるようになった。日本軍は敗退を重ね戦死者が増加していき、1944年には航空機で敵艦に体当たりを仕掛ける特攻を開始。ラジオでは特攻隊員の遺言が流れ国民の戦意高揚を高めようとしていたが、一方で実際に戦場でおびただしい数の人が死んでいるとう事実は国民に伏せられたままだった。80年前の1945年8月15日、ラジオは天皇の肉声を放送。異例の方法で戦争の終結を伝えた。
戦争を描いたドラマや映画に多数出演している俳優の尾野真千子は「今はたくさん信じられることがあるけどその当時はラジオや新聞でしかっていう。それはみんな信じますよね」と語った。
1953年、テレビ放送が開始。日本はこの後高度経済成長期に突入していく。「もはや戦後ではない」といわれていた時代、テレビでは戦争の生々しい傷跡を伝えていった。『現代の映像「いまだ帰還せず」』という番組では帰還しない陸軍上等兵の夫を待ち続ける妻と長男を取材。夫がいつか帰って来るかもしれないと語り、妻は役所に死亡届を出さないでいたが放送の2年後に届け出た。役所からは小さな箱が手渡され、中にはおそらく小さな石が入っていたという。遺品や遺髪も手元になくただそれだけで終わった対応について長男は「お粗末だなと思いましたね」と当時の気持ちを語った。1970年、日本万国博覧会が開催。日本は名実ともに経済大国となり、戦争の傷跡は見えにくくなっていった。73年にはフランスで核実験が実施され、広島の被爆者たちは危機感を顕に。75年に被爆者たちが見た原爆の惨状を伝えるドキュメント番組「市民の手で原爆の絵を」が放送され大きな反響を呼んだ。この当時NHKには2200枚の絵が集まり、全国で展覧会も開催。訪れた人は22万人以上、原爆の惨状を絵で伝える試みは放送をきっかけに大きく広がっていった。
片渕は実際に「市民の手で原爆の絵を」で取り扱った絵を見たといい、「あれだけの数がそろって見ると何が起こったかがわかる。人間の尊厳が吹き飛ばされ奪い取られ剥ぎ取られてしまった姿ばかりで。それが本当に映画などで表しえない残酷な生々しいもの」と語った。
1989年1月、昭和天皇が崩御。昭和が終わり新たな時代が到来した。1990年代に入るとバブル経済が崩壊。「第二の敗戦」ともいわれた。この過度期にNHKは新たな太平洋戦争検証番組を放送。NHKスペシャルで太平洋戦争の意思決定の過程やその結果を詳しく報じた。当時番組を企画した中田整一は、バブル崩壊後、続々と倒産する会社と露頭に迷う失業者を見て「これは戦争のときの構造と一緒だな」と感じたと語り「過去の歴史は何が間違っているか繰り返さないように一つ一つ念を押していくことが必要でしょうね」と話した。1990年代、アジア各国から日本へ戦争補償を求める動きが活発化。90年代前半に慰安婦問題を訴えた韓国は2015年に日本政府と最終解決で合意。日本政府は慰安婦の和解・癒やし財団に10億円を拠出した。
片渕は戦争について「次々と繰り返して検証し続けることが本当は必要。ほかの視点から見るともっと違うものが見えてくるかもしれない」とコメントした。
2000年代に入り戦争体験者がますます少なくなる中でテープなどに残った証言をもとに戦争の真実を伝える番組作りが行われた。沖縄読谷村がまとめた戦時記録をもとにNHKスペシャルで沖縄戦を特集。集団自決で当時5歳の息子を亡くした女性に密着した。
尾野は戦争当時の記憶を語りたくないという沖縄の女性について「語ってくれたら私達も伝えていくことができるけど語りたくないのが本当なのだろうなとは思います。今のいろんな国を見ていてもそうですけどそりゃ語りたくないですよねあんな悲惨なことは」と話した。
尾野真千子が主演した2011年の連続テレビ小説「カーネーション」。戦時下を生きる女性の心情をリアルに描き共感を得た。「カーネーション」のダイジェストが流れた。
尾野は自身が主演を務めた「カーネーション」について「戦争というものは小原糸子にとってしょうもないものだったというか、悔しいつらいを通り越してしまって。あれだけがむしゃらに生きていたのに大切なものを一気に奪われて終わったと告げられて」と語った。
NHKは戦争体験者の記録や証言をもとにVRを制作する試みを開始。中学生の視点で被爆後の広島などを映像化している。伝えるのは12歳の時に被爆した兒玉光雄さんの体験。兒玉さんは自身の通う中学校で被爆。多くの同級生を失い、その経験を2020年に亡くなるまで語り継いできた。作家の室星理歩が描いた「プールサイドの惨劇」は原爆投下直後に兒玉さんが見た忘れられない光景が克明に描かれている。VRではやけどの専門医監修のもと、兒玉さんが見た被害状況を詳細に再現。朝の学校で楽しく過ごしていた日常から一転、原爆投下直後から校舎に炎が上がり生徒たちが死んでいくまでをVRで体験することができる。兒玉さんは1945年8月6日、288人の同級生を失った。
東京にある私立の男子高校で希望する生徒にVRを体験してもらった。感想や疑問を語り合う中で「広島に行こう」という声が。4人の学生が実際に広島を訪れ原爆資料館などを見学。当時の生々しい記録の数々に「覚悟が足りなかった」などと動揺する学生もいた。兒玉さんが被爆した旧広島第一中学校も訪問。同じく生き残った兒玉さんの上級生才木幹夫さんに話を伺った。才木さんは今の世界の現状について個人主義が主流となっているが話し合いで解決する姿勢を忘れてはいけないなどと話した。
実際にVRを体験した尾野は「見た直後心がすごく動いた。これがきっかけとなってもっと知りたいと思ってくれるのはVRの意味なのかなと思います」といコメントした。
エンディング映像。