1953年、テレビ放送が開始。日本はこの後高度経済成長期に突入していく。「もはや戦後ではない」といわれていた時代、テレビでは戦争の生々しい傷跡を伝えていった。『現代の映像「いまだ帰還せず」』という番組では帰還しない陸軍上等兵の夫を待ち続ける妻と長男を取材。夫がいつか帰って来るかもしれないと語り、妻は役所に死亡届を出さないでいたが放送の2年後に届け出た。役所からは小さな箱が手渡され、中にはおそらく小さな石が入っていたという。遺品や遺髪も手元になくただそれだけで終わった対応について長男は「お粗末だなと思いましたね」と当時の気持ちを語った。1970年、日本万国博覧会が開催。日本は名実ともに経済大国となり、戦争の傷跡は見えにくくなっていった。73年にはフランスで核実験が実施され、広島の被爆者たちは危機感を顕に。75年に被爆者たちが見た原爆の惨状を伝えるドキュメント番組「市民の手で原爆の絵を」が放送され大きな反響を呼んだ。この当時NHKには2200枚の絵が集まり、全国で展覧会も開催。訪れた人は22万人以上、原爆の惨状を絵で伝える試みは放送をきっかけに大きく広がっていった。