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「広島県原爆被害者団体協議会」 のテレビ露出情報

各地の学校を訪れ被爆体験を語り継いでいる坪井さんは、7年前からオバマ大統領に広島訪問を呼びかけていた。それは就任直後のオバマ大統領が核兵器のない世界を目指すと語ったからだった。そのオバマ大統領が広島を訪れることが決まり、国内外のメディアが坪井さんの元に押し寄せた。メディアの関心は被爆者が大統領に謝罪を求めるかどうかに集中し、坪井さんは「大統領に謝罪を求めない」ことをメディアに明言した。夕方に帰宅した坪井さんに、長男の健太さんは周囲の声として「お父さんが謝罪をいらない」と言ったのを皆良かったと言ってたよ、と告げた。
長男の健太さんは我々取材陣に坪井さんが語った「謝罪をいらない」というのは本音だがと前置きし、証言や語り部をやった夜はうなされていることを明かし「そのことは知っておいていただきたい気持ちです」と語った。1945年8月6日広島に原爆が投下された日。20歳の学生だった坪井さんは通学中に被爆した。顔と背中は焼けただれ、耳はちぎれかかっていた坪井さんの姿が写真に残っている。坪井さんは当時を振り返り「坪井はここに死す」と地面に書いたと話した。
約40日間も生死を彷徨ったという坪井さん。目覚めた時に口にしたのは「俺を連れて行ってくれ戦場へ」などアメリカへの憎しみだった。憎しみのなか、被爆の影響で貧血などに苦しみ、周囲では亡くなる人が相次いだ。実はその頃、坪井さんは一旦死んだものだという考えから「坪井徹死」と名乗っていたとのこと。また榎鈴子さんとの結婚を、被爆者だったことを理由に反対された時は自ら命を絶とうと考えたという。2人で睡眠薬を飲み死のうとしたが、お互い目が覚めてしまい見つめ合ったまま泣いたと明かした。
原爆投下から10年、放射線の影響による白血病で亡くなる被爆者が相次いでいた。同じころアメリカは核兵器開発を推し進めていた。
坪井さんの人生にはいつも被爆という影がつきまとっており、重い貧血に加え大腸がん、前立腺がんなどと戦ってきた。これまでに10回以上も入院し危篤を告げられたことも3度あるという。病に伏せる度にいつも付き添ってくれたのが鈴子さんだった。心中未遂から2年後に2人は結婚し山間の町でひっそり暮らしたのだった。鈴子さんの存在が死と向き合う苦しみから開放してくれたという。3人の子どもにも恵まれ、健やかに育ってくれた。坪井さんはいつしか徹死とは名乗らなくなっていた。坪井さんは「ああいう人がおったから未来志向になっていった」と話す。
坪井さんは小学校の教員を鈴子さんの支えもあり定年まで務め上げた。しかしその6年後、鈴子さんは突然この世を去った。坪井さんは残りの人生をどう生きていくのか?悩んだが、生前に鈴子さんが残した言葉「やりたいことをやりなさい」に背中を押されたという。坪井さんは被爆者団体に入り核兵器反対を訴えるようになった。一方でインドやパキスタンなど核兵器を持つ国は増え続けていた。坪井さんは世界各国を周り被爆の悲惨さを語り続けた。しかし被爆者の訴えが届いていない現実を実感する出来事があった。
それはアメリカ スミソニアン航空宇宙博物館を訪れた時だった。広島に原爆を落とした爆撃機「エノラゲイ」が展示されており、そこには「ものすごい成果をあげた」ことが書かれていたのだった。それを見て憤る坪井さんに1人のアメリカ人が「戦争で傷をついたのはアメリカ人も同じだ」と言葉を投げかけてきた。被爆者の思いをぶつけるだけでは伝わらないと思い知らされた。
オバマ大統領は平和記念公園を訪問した。坪井健太さんは平和記念公園でオバマ大統領と対面した。坪井健太さんはオバマ大統領に「核のない世界、私達もいきますよ」と語った。
坪井さんが紹介された。坪井さんは墓を訪れ、オバマ大統領と対面したことを報告した。坪井さんは核兵器を廃絶するために世界で1億人を超える署名を集める活動を始めた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月11日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025テレメンタリー2025
広島市役所の記者クラブで、日本被団協のノーベル平和賞受賞を見守る会見が行われ、代表委員の箕牧智之さんが出席した。オスロでノーベル賞の授賞式が行われ、日本被団協がノーベル平和賞を受賞した。1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。日本原水爆被害者団体協議会は、1956年に結成された。1991年には、被爆者代表から要望を聞く会が行われた。1994年に初代会[…続きを読む]

2025年1月8日放送 6:30 - 7:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
原爆が投下されてからことしで80年になる。ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の箕牧智之代表委員が広島市の平和公園を訪れ、広島県被団協のメンバーとともに、原爆慰霊碑に献花した。箕牧さんは「被爆者はまもなくいなくなる時代になる。私たち被爆者は老体にむち打って核兵器廃絶を訴え続ける覚悟」と述べた。

2024年12月25日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース(広島局 昼のニュース)
日本被団協がことしのノーベル平和賞を受賞したことを受けて、核兵器の廃絶を訴えてきた被爆者の歩みを紹介する展示が広島市の原爆資料館で始まった。このうち1階では2002年に広島県被団協の呼びかけによって被爆者らが思いを記した色紙の複製が展示され、日本被団協の代表委員を務め3年前に亡くなった坪井直さんのメッセージなどが紹介されている。このほか1956年に県被団協が[…続きを読む]

2024年12月10日放送 12:00 - 12:15 NHK総合
ニュース(ニュース)
ノーベル平和賞は被爆者の立場から核兵器の廃絶などを訴えてきた日本被団協日本原水爆被害者団体協議会が受賞する。今夜9時から行われる授賞式を前に代表委員の田中熙巳さんたち3人がノーベル研究所を訪問し芳名帳に署名した。芳名帳には田中さんが「核兵器も戦争もない世界を作ろう」と記した。授賞式に合わせてノルウェーを訪れている全国の被爆者や被爆2世などもオスロ大学の植物園[…続きを読む]

2024年12月9日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’24(NNNドキュメント’24)
被爆者の阿部静子さんは自らの体験を講演で語っていて、広島県原爆被害者団体協議会から功労者として表彰された。広島テレビの庭田記者は、被爆者らの写真をカラー化する活動を続けている。阿部静子さんが、庭田記者に手紙を書いた。広島八景園で、阿部静子さんと庭田記者が面会した。阿部さんが、亡くなった夫について語った。阿部静子さんが結婚したときに撮影したモノクロ写真を、庭田[…続きを読む]

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