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「後楽園球場」 のテレビ露出情報

長嶋茂雄さんの現役生活17年、その歩みは1958年に最初の一歩が刻まれた。立教大学時代、当時の本塁打の新記録を樹立し「ゴールデンルーキー:として巨人に入団。デビュー戦は国鉄の金田正一に対し4三振と散々なデビューだった。長嶋さんは当時を振り返り「次の日も1つ三振をしているが、順境より逆境からスタートするのも一つの励みというか、良かったような気がする」と語っていた。この年、長嶋さんは打点92、本塁打29本の二冠王に輝くと、翌年に行われた日本初の天覧試合で村山実から劇的なサヨナラホームランを放った。選手としての長嶋さんを体現する言葉、それは「魅せる野球」。ヘルメットを豪快に飛ばしながら空振りするなど、動きの随所にエンターテインメント性を感じた。スローイングの独特の動きは歌舞伎の所作を取り入れた独自の理論から取り入れたものだったという。敬遠に抗議するため、バットを持たずに打席に入ったこともあった。
巨人では1年後輩の王貞治と「ON砲」として前人未到のV9に導いた。高度経済成長期の日本で子どもが好きなものは「巨人、大鵬、たまご焼き」とよばれ、街頭テレビのコンテンツとしても人気となり、漫画雑誌の表紙を飾るほどにもなった長嶋さんは「ミスター」の愛称で国民的ヒーローとなった。選手としての最後の試合でも通算444号ホームランを放った長嶋さんはスピーチで「今ここに自らの体力の限界を知るにいたり引退を決意した。私はきょう引退するが、我が巨人軍は永久に不滅だ」という名言を残した。長嶋さんの通算打率.305。首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、MVP5回。そして近年打者の指標として使われる出塁率と長打率を出すOPSは松井秀喜の.911、清原和博の.909を超える.919だった。
現役引退後、巨人の監督として新たに歩み始めた長嶋さん。しかし、1年目となる1975年は球団創設以来初の最下位に沈んだ。シーズン終了後、長嶋さんは「今年1年間、全く暗い、耐え難いシーズンを送ってしまった」と振り返った。翌年、日本ハムから「安打製造機」こと張本勲を獲得して優勝、翌年も優勝したが1979年は5位に終わった。この年のオフに行われたのが伝説となる「地獄の伊東キャンプ」だった。FA選手の監督ではその「口説き文句」が語りぐさとなっている。落合博満を獲得した際は「お前の生きざまを若いやつに見せたい」、清原和博を獲得した際は「僕の胸に飛び込んできてほしい」と呼びかけたという。監督としての名勝負としては1994年10月8日、勝ったほうがリーグ優勝となるいわゆる「10.8決戦」で、愛弟子・松井秀喜の活躍もあって4年ぶりのリーグ優勝を飾った、2年後には最大11.5ゲーム差をひっくり返し奇跡の逆転優勝「メークドラマ」を生んだ。「メークドラマ」はこの年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。永久欠番「3」の物語は、これからも語りづがれていく。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月7日放送 10:05 - 11:35 NHK総合
みんな あなたが好きだった プレーバック 長嶋茂雄の世紀(みんな あなたが好きだった プレーバック 長嶋茂雄の世紀)
1974年10月14日、後楽園球場に長嶋茂雄選手の最後の試合を見届けたいと多くの人が集まった。当時アルバイトの予定があったがそれをキャンセルし試合を観戦したと振り返るテリー伊藤さん。その際に観客の顔には華やいだ雰囲気はなく、沈黙があったと語る。当時実況を担当した元アナウンサーの赤木孝男さんは球場に寂しさがあり、どよめきが多かったと振り返る。リーグ優勝が決まっ[…続きを読む]

2025年6月4日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
ニューヨーク・タイムズは長嶋茂雄さんの死去を報じた。長嶋茂雄さんは王貞治さんとのONコンビで巨人黄金時代を築いた。1974年引退セレモニーで「我が巨人軍は永久に不滅です」と発言した。引退のあいさつについて「永久に不滅ですと声に出すと語呂が良くスムーズだと思った」と話した。
長嶋茂雄さんは打席ではヘルメットが宙を舞うなど美しいと評された。ヘルメットが脱げるこ[…続きを読む]

2025年6月4日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!SPORTS
長嶋茂雄さんが、ミスターと呼ばれた理由は「ここ一番の勝負強さ」とのこと。1959年、昭和天皇と香淳皇后が見守ったプロ野球史上初の天覧試合。同点で迎えた9回ウラ、長嶋さんはサヨナラホームランを放った。そして、1974年現役最後の試合でも、ホームランを放った。そしてきのうスタートしたプロ野球セ・パ交流戦では、長嶋さんへ黙とうが捧げられた。

2025年6月3日放送 19:00 - 21:00 日本テレビ
【緊急生放送】ありがとう長嶋茂雄さん ミスタープロ野球 永遠に…緊急特番 ありがとう長嶋茂雄さん ミスタープロ野球 永遠に…
長嶋茂雄は小学4年から野球を始め、立教大時代に才能が開花。東京六大学野球のホームラン記録を塗り替え1958年に鳴り物入りで巨人に入団。開幕戦でデビューしたが4打席4三振。1年目から新人王に輝いた。1959年6月25日の巨人対阪神ではプロ野球史上初の天覧試合。代名詞は魅せる野球だった。敬遠されるとバットを持たずに打席に立つこともあった。オフの自主トレでは部屋の[…続きを読む]

2025年6月3日放送 16:48 - 19:00 テレビ朝日
スーパーJチャンネル(ニュース)
長嶋茂雄さんが肺炎のため、今朝89歳で亡くなった。生涯を野球に捧げたミスタープロ野球。記録より記憶に残されたプレーの数々。王貞治は「けさ連絡をもらいました「え」というのが本当の最初の思い。野球をやっていたときもそうだったが、退くことのない人生だったと思う」などと話した。原辰徳前監督は「勝負に厳しく人にやさしく誰からも愛される方でした」などと話した。大谷翔平選[…続きを読む]

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