- 出演者
- 小木逸平 大越健介 ヒロド歩美 下村彩里 安藤萌々 松坂大輔 細川栞 角盈男
「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄さんがけさ、肺炎の為亡くなった。89歳だった。野球少年の憧れだった「背番号3」。野球人・長嶋茂雄の人生には、輝きの裏に「逆境」の2文字があった。
「長嶋茂雄さん死去」の一報が届けられたのはけさのことだった。東京・有楽町の巨人ファンの男性は「野球を心から愛している人だった」。東京ドームで取材に応じたファンの1人は引退試合当日の記憶について「あの日は担任の先生が午後の授業をやめてくれて家に帰って長嶋さんの最後の試合を見ろと言ってくれた」と振り返った。午後1時過ぎ、長嶋さんの遺体は都内の自宅に戻った。1時半には60年来の友人でありともに一時代を築いた王貞治さんが弔問に訪れた。
4時半過ぎに会見を行った王さんは「けさ連絡をもらいえっというのが最初の思いだった。」「2004年に病を得てから戦ってきた長嶋さんの姿を見ているので、苦しいリハビリを率先して行い、全てを乗り越えるという姿勢を持っていた。」「1年目は言った時に長嶋さんが前の年にホームランと打点王をとって、入った時から特別な存在だった。とにかくバットで存在感を示すしかなかったから、だんだん長嶋さんと近づいてるな、自分なりにもっと近づきたいと思った」「プロ野球は野球の好きな人たちだけの世界だったが、野球に関心がなかった人たちにもどうだったかな?長嶋打ったかな?と思ってもらえる、他の人にはできなかったと思う。」「こうなってみて、存在の大きさを改めて思い知らされた」などと語った。
長嶋さんの人柄や圧倒的な熱量に魅入られた選手は数しれず、そういった選手たちが野球の次の世代に繋いでいった。教え子の1人である中畑清さんは「人生だった、俺の中で。俺のほうが先に死にたかったぐらい」張本勲さんは「自分の体の一部をトラれたような思い、本当に残念でならない。」巨人の原辰徳前監督は「選手、コーチ、監督という立場でも深く影響を受け、一緒に入られたのは私の中でも大きな燦然と輝くことだった」とそれぞれ語った。
長嶋茂雄さんの現役生活17年、その歩みは1958年に最初の一歩が刻まれた。立教大学時代、当時の本塁打の新記録を樹立し「ゴールデンルーキー:として巨人に入団。デビュー戦は国鉄の金田正一に対し4三振と散々なデビューだった。長嶋さんは当時を振り返り「次の日も1つ三振をしているが、順境より逆境からスタートするのも一つの励みというか、良かったような気がする」と語っていた。この年、長嶋さんは打点92、本塁打29本の二冠王に輝くと、翌年に行われた日本初の天覧試合で村山実から劇的なサヨナラホームランを放った。選手としての長嶋さんを体現する言葉、それは「魅せる野球」。ヘルメットを豪快に飛ばしながら空振りするなど、動きの随所にエンターテインメント性を感じた。スローイングの独特の動きは歌舞伎の所作を取り入れた独自の理論から取り入れたものだったという。敬遠に抗議するため、バットを持たずに打席に入ったこともあった。
巨人では1年後輩の王貞治と「ON砲」として前人未到のV9に導いた。高度経済成長期の日本で子どもが好きなものは「巨人、大鵬、たまご焼き」とよばれ、街頭テレビのコンテンツとしても人気となり、漫画雑誌の表紙を飾るほどにもなった長嶋さんは「ミスター」の愛称で国民的ヒーローとなった。選手としての最後の試合でも通算444号ホームランを放った長嶋さんはスピーチで「今ここに自らの体力の限界を知るにいたり引退を決意した。私はきょう引退するが、我が巨人軍は永久に不滅だ」という名言を残した。長嶋さんの通算打率.305。首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、MVP5回。そして近年打者の指標として使われる出塁率と長打率を出すOPSは松井秀喜の.911、清原和博の.909を超える.919だった。
現役引退後、巨人の監督として新たに歩み始めた長嶋さん。しかし、1年目となる1975年は球団創設以来初の最下位に沈んだ。シーズン終了後、長嶋さんは「今年1年間、全く暗い、耐え難いシーズンを送ってしまった」と振り返った。翌年、日本ハムから「安打製造機」こと張本勲を獲得して優勝、翌年も優勝したが1979年は5位に終わった。この年のオフに行われたのが伝説となる「地獄の伊東キャンプ」だった。FA選手の監督ではその「口説き文句」が語りぐさとなっている。落合博満を獲得した際は「お前の生きざまを若いやつに見せたい」、清原和博を獲得した際は「僕の胸に飛び込んできてほしい」と呼びかけたという。監督としての名勝負としては1994年10月8日、勝ったほうがリーグ優勝となるいわゆる「10.8決戦」で、愛弟子・松井秀喜の活躍もあって4年ぶりのリーグ優勝を飾った、2年後には最大11.5ゲーム差をひっくり返し奇跡の逆転優勝「メークドラマ」を生んだ。「メークドラマ」はこの年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。永久欠番「3」の物語は、これからも語りづがれていく。
長嶋茂雄が死去したことについて、角盈男は、穴かぽっかり空いている。信じられない気持ちでいっぱい。松坂大輔は、なかなか受け入れられなかったとコメント。長嶋茂雄の成績を振り返る。首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、MVP5回。伝説のV9達成。引退の翌年から監督に就任。第1次監督ではリーグ優勝は2回。第2次監督ではリーグ優勝は3回、日本一は2回。地獄の伊東キャンプについて、角は、監督からレギュラーは奪い取るものだと、それがスタートだった。松坂は、けが人はいないというのは初めて聞いたとコメント。
2004年のアテネ五輪で日本代表監督に就任。長嶋ジャパンではメンバー全員をプロ野球選手にし、初の世界一を目指して始動。2004年3月、自宅で倒れる。診断は脳梗塞、右半身のまひと言語障害が残る。リハビリを続けながら、野球を未来につなげる取り組みを行なう。1990年からセコムのアンバサダーを務める。セコムはご功績に深く感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り申し上げますとコメント。2013年、松井秀喜さんとともに、東京ドームのグラウンドへ、国民栄誉賞を受賞する。その後も懸命なリハビリが続く。長女の三奈さんに、「今の体はだいぶ変わって、うれしい気持ちがある。全部を鍛えて一生懸命やりました」と明かしていた。東京五輪では聖火リレーの最終ランナーの大役を務めオリンピックに参加。21年に文化勲章を受賞。海外への憧れを明かすこともあったという。大谷は自身のSNSに長嶋さんとのツーショットを投稿。
アテネ五輪について、松坂大輔は、銅メダルを獲得できたが、その後に報告会があった。よく投げてくれたねと言ってくれたのは今でも覚えている。野球界にとっては神様のような存在だった。角盈男は、一緒にユニフォーム着れて、こういう人を親父にもてて最高の幸せだなと思うとコメント。
韓国大統領選挙の投票率は速報値で79.4%。韓国社会が抱える問題は深刻。社会保障制度が脆弱で超少子高齢化の韓国は、高齢者の貧困率がOECDで最悪。無職の男性は、経済政策をやらなかったからたくさんの問題があるとコメント。梨泰院の事故や戒厳令などで情緒的に不安定になり政治への不満も多くなる。明るい将来像は描けていないという。
韓国大統領選挙について韓国・ソウルから中継。李在明氏が「優勢」と伝えられた。今回の選挙戦は12月の非常戒厳をどう評価するかが根底にある。最近の世論調査でも非常戒厳に反対、これが李在明氏にとって追い風となる。李氏は多くの裁判を抱え、アンチも多い。今回は与党にお灸を据えたいという意味で李在明氏に消極的に投じた票も少なくない。
雲仙・普賢岳の大火砕流では43人が犠牲。父親が犠牲になった男性は、孫とか僕ら子供たち、家族のことを空から見守っていてくださいという気持ちで毎年来ているとコメント。
日本生命セ・パ交流戦がスタート。巨人は雨のため試合なし。長嶋茂雄さんの訃報を受け、選手たちが黙祷。巨人以外の全ての球団も試合前に黙祷を捧げた。阪神の大山悠輔が3号ホームランで先制。阪神の先発は才木浩人。1点を守りきり首位対決を制す。阪神1-0日本ハム。才木は、何とか抑えられてよかったとコメント。
広島の小園海斗がタイムリーヒット。先発の九里亜蓮は広島からFAで加入。広島は4で連敗ストップ。広島5-2オリックス。
ソフトバンクの先発はエースの有原航平。粘りのピッチングで6回まで無失点に抑える。ソフトバンクは交流戦白星スタート。中日0-4ソフトバンク。
DeNAの筒香嘉智はきょう1軍復帰。フォアボールを選び押し出し。佐野恵太が3試合連続となる2ランホームラン。去年、交流戦優勝の楽天に勝利。DeNA6-3楽天。
西武の先発は隅田知一郎。ヤクルトを9回途中まで無失点に抑え込む。0-0で迎えた延長11回。セデーニョが内野安打、送球がそれる間に2塁ランナーがホームイン。西武がサヨナラ勝利。ヤクルト0-1西武。
セ・パ交流戦について、松坂大輔は、上位のチームは安心できないし、下位チームは交流戦をきっかけに上に近づくきっかけを作りたいと思うので、交流戦注目したいとコメント。
テレビ朝日屋上から中継で、全国の天気予報を伝えた。