2004年のアテネ五輪で日本代表監督に就任。長嶋ジャパンではメンバー全員をプロ野球選手にし、初の世界一を目指して始動。2004年3月、自宅で倒れる。診断は脳梗塞、右半身のまひと言語障害が残る。リハビリを続けながら、野球を未来につなげる取り組みを行なう。1990年からセコムのアンバサダーを務める。セコムはご功績に深く感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り申し上げますとコメント。2013年、松井秀喜さんとともに、東京ドームのグラウンドへ、国民栄誉賞を受賞する。その後も懸命なリハビリが続く。長女の三奈さんに、「今の体はだいぶ変わって、うれしい気持ちがある。全部を鍛えて一生懸命やりました」と明かしていた。東京五輪では聖火リレーの最終ランナーの大役を務めオリンピックに参加。21年に文化勲章を受賞。海外への憧れを明かすこともあったという。大谷は自身のSNSに長嶋さんとのツーショットを投稿。