1970年代、日本は空前の旅行ブームに湧いていた。だがそのブームは熊本・南小国町の黒川温泉には届かなかった。観光客を呼ぼうにもあまりにも山奥過ぎた。もともとは周辺の農家が通う湯治場。2代目の松崎郁洋さんの家も、もともと農家。稼ぎの足しにと父が旅館を始めたが子供心に嫌だった。当時の黒革は座敷での飲み会目的が多く、客は温泉には目もくれない。家業は継ぎたくないと福岡の大学に進んだがオイルショックで就職難。仕方なく地元に帰った。こんな仕事じゃ結婚もできないと居酒屋で愚痴を言う日々だった。愚痴の相手は幼馴染の後藤健吾。健吾も意にそぐわず地元に帰った1人だった。憂さ晴らしに旅館の2代目たちは、ソフトボールに明け暮れたが気は晴れなかった。ソフトボール仲間の小笠原和男には地元に1つ、気になる旅館があった。閑古鳥が鳴く黒川で、その宿だけ唯一客が途切れない。主は後藤哲也。年配の同業者たちが眉を潜める変わり者で両親も呆れるばかり。しかし哲也に代替わりしてから客が増えていった。ある日、哲也から客の送迎を頼まれた小笠原和男は、秘密を探るチャンスだと思った。玄関から部屋まで空気が違って見えた。驚いたのは風呂だった。風呂は洞窟風呂と名付けられていて、哲也の手作り。さらに当時、他の旅館にはなかった露天風呂もあった。哲也は20代の頃から、京都などをめぐり、庭や伝統建築を独学してきた。哲也の行き着いた答えは本当の田舎であること。田舎には人を癒す力がある。それを味わえる究極の風呂を作ろうとノミと金槌で10年かけて、裏山を掘り洞窟風呂を作った。小笠原が頼むと、哲也は風呂づくりのコツを惜しげもなく教えてくれた。1年後、教え通りに風呂を作ると、客足が伸びた。その様子に松崎と後藤は驚き2人も温泉を作ろうと思った。松崎は5回目の見合いでついに結婚が決まり、負けられない理由があった。2代目たちは次々にベビーラッシュ、暮らしのためになんとしても客を呼び込むしかなかった。