宮大工の養成塾。普通なら最低10年はかかるという修業を3年で覚えさせようというスパルタのため、作業中は私語厳禁。実習が終わると全員が一つの大部屋で、個人のスペースは畳一畳と足元に置かれた衣装ケースだけ。スマホも禁止、塾生たちがネットに出回る宮大工の動画などを見て分かったつもりにならないためだ。三度の食事も塾生の当番制。主に禅宗などで使われる「いただきます」をさらに深くした言葉を唱えてから食事をする。午後8時30分には就寝。せいかつりずむの厳しさに8人いた片山くんの同期はすでに5人になっていた。
2024年10月、塾生たちは三重県志摩市の修復現場にいた。今回の現場は1840年建立の薬師寺。今、全国には修繕が必要な神社仏閣が無数にあるが、その多くは資金難や宮大工不足で満足に直すこともできない。そこで金田さんは宮大工の養成塾を立ち上げ、塾生を使って安く修繕を請け負いながら将来にわたり宮大工の技が途絶えることのないよう実際の現場で生きた技術を教えている。中締めの打ち上げで話題になったのは年末年始をどう過ごすか。塾生の石井くんが小学校の卒業文集に書いた将来の夢は大工。
塾に入って1年と9か月が経ち、三重の薬師寺に常駐して修繕を続けることになった石井くんだが、その作業の多くは同じく常駐することになった同期の佃くんに指示されたもの。入学から1年9か月で「負けたくない」という想いが芽生えた。一方でだれより努力家の佃くんはもっとみんながやる気を出して技術を競い合いたいと不満気味。一方、正月休みが近い気の緩みか、大阪に戻っていた片山くんは消灯後の布団の中で塾や金田さんの悪口を思わず漏らしてしまったようだ。
2024年10月、塾生たちは三重県志摩市の修復現場にいた。今回の現場は1840年建立の薬師寺。今、全国には修繕が必要な神社仏閣が無数にあるが、その多くは資金難や宮大工不足で満足に直すこともできない。そこで金田さんは宮大工の養成塾を立ち上げ、塾生を使って安く修繕を請け負いながら将来にわたり宮大工の技が途絶えることのないよう実際の現場で生きた技術を教えている。中締めの打ち上げで話題になったのは年末年始をどう過ごすか。塾生の石井くんが小学校の卒業文集に書いた将来の夢は大工。
塾に入って1年と9か月が経ち、三重の薬師寺に常駐して修繕を続けることになった石井くんだが、その作業の多くは同じく常駐することになった同期の佃くんに指示されたもの。入学から1年9か月で「負けたくない」という想いが芽生えた。一方でだれより努力家の佃くんはもっとみんながやる気を出して技術を競い合いたいと不満気味。一方、正月休みが近い気の緩みか、大阪に戻っていた片山くんは消灯後の布団の中で塾や金田さんの悪口を思わず漏らしてしまったようだ。