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「志村けん」 のテレビ露出情報

コミックバンドとして人気を博したザ・ドリフターズが挑戦した公開生放送のコント番組「8時だョ!全員集合」。緻密に計算されたボケとアクションで、リーダーのいかりや長介は、コント55号とは真逆の台本主義にこだわった。メンバーは当時について、毎週木曜日3時にTBSで打ち合わせをしていた、終わるのは早くて夜11時か12時、明け方になることもしばしばあったなどと振り返る。名物「屋台崩し」は、生放送という緊張感もあいまって、お茶の間は釘付けになった。パトカーが屋根に飛ぶ演出は、いかりや長介が提案したという。いかりや長介の台本主義に、当時の制作スタッフも食らいついた。美術デザイナーの山田満郎は、番組開始から終了まで、のべ803のセットをデザインした。山田は、番組が失敗したらドリフターズは無くなっちゃうから、いかりや長介は真剣だった、危険なことをやめないで、いかに安全にやるかが大事だなどと話した。「8時だョ!全員集合」は、お笑いバラエティー番組史上1位となる最高視聴率50.5%を記録した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月17日放送 23:00 - 23:30 TBS
情熱大陸(情熱大陸)
ものまねタレント・コロッケに密着取材。コロッケが、古典落語・初天神をモノマネで演じるための台本を書いた。コロッケは右耳がほとんど聞こえていないが、「目で聞き耳で見る」ようにしていると語った。7月11日、熊本市の実家をコロッケが訪れ、母親や姉と再会した。7月17日、コロッケが札幌市でコンサートを行うことになり、キンタローと共演した。

2025年8月16日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
ファミリーヒストリー立川志らく
昭和57年、日本大学芸術学部に入学した立川志らく。大学4年生の夏、落語家になることを選んだ。昭和60年、落語界のアウトロー的存在だった立川談志に入門。落語を知ったのは多趣味だった父の影響。
大学を4年次で中退して落語家の修行を始めた立川志らく。ある日、両親が談志に挨拶。緊張している様子は一切見せなかった。入門3年目の昭和63年、二ツ目に昇進。このとき、祖母[…続きを読む]

2025年8月11日放送 19:33 - 20:45 NHK総合
超・ニッポンのお笑い100年〜芸人たちの放送開拓史〜(超・ニッポンのお笑い100年〜芸人たちの放送開拓史〜)
「ひょうきん族」について志村けんとビートたけしが語っている貴重映像。ビートたけしは「漫才師はコントをあまりやらない。明石家さんまを呼んできて、裏側を全部さらけ出す」、志村けんは「楽しそうだなって感じはありました」などと話した。

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