90年代後半音楽産業は隆盛を極めていた。小室哲哉がプロデュースしたアーティストは、ヒットを連発。その盛り上がりに全く無縁な音楽ソフト会社が北海道・札幌市にあった。従業員は3人、売っているのは様々な音を 集めたCDだった。立ち上げたのは30歳の伊藤博之。子どもの頃から大の音楽好き。部屋にこもりコンピューターで日々、曲を作っていた。伊藤は大学の事務員として働きながら、始めたのが作った音の素材を、海外と文通しながら郵送で売っていた。伊藤は、勤めていた大学を辞め、音の素材を売る会社を始めた。伊藤が販売する効果音は曲作りに役立つを評判を呼んだ。着メロ事業にも進出。3人だった社員は20人に成長した。7年後、取引先との打ち合わせの時に、ある音を聞いてみて?と言われた。流れてきたのはコンピューターの声だった。歌手とメロディーを入れると機械が歌う歌声合成ソフトだった。開発したのは静岡にある総合楽器メーカー。歌声合成の部署はたった4人だった。研究をを始めたのは藤井茂樹。機械の詩では感動させるのは難しいと言われていたが、押し通した。開発のリーダーは剣持秀紀。課題は歌詞が聞き取りづらいことだった。剣持秀紀は音を分析し5ヶ月後突き止めた。2文字の言葉は5つのパートに分けると滑らかになる。開発を始めて2年、ようやく歌声合成ソフトに1曲歌わせることができた。しかし、人が歌ったほうが早いと製品化は不採用になった。伊藤博之はもったいないと思って販売を担当することに決めた。