- 出演者
- 有馬嘉男 森花子 佐々木渉 伊藤博之 剣持秀紀
米津玄師は世代を超え愛される日本を代表するアーティスト。歌手としてデビューする前から米津はもう1つの名前を持っている。それが「ハチ」。ハチとして米津は歌わない。コンピューターに歌わせる曲を作り、作品を投稿する時の名前。使うのは初音ミク。2007年の誕生以来、世界中のユーザーがこのソフトで音楽を作ってきた。開発したのは北海道の小さなベンチャー企業と大手楽器メーカーの技術者たち。これは音楽の世界に革命を起こした人間たちのドラマである。
オープニング映像。
きょうの主役は初音ミク。初音ミクはパソコンで音楽が作れるソフトウェア。この開発の裏には技術者や地方のベンチャー企業の熱い思いがあった。
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90年代後半音楽産業は隆盛を極めていた。小室哲哉がプロデュースしたアーティストは、ヒットを連発。その盛り上がりに全く無縁な音楽ソフト会社が北海道・札幌市にあった。従業員は3人、売っているのは様々な音を 集めたCDだった。立ち上げたのは30歳の伊藤博之。子どもの頃から大の音楽好き。部屋にこもりコンピューターで日々、曲を作っていた。伊藤は大学の事務員として働きながら、始めたのが作った音の素材を、海外と文通しながら郵送で売っていた。伊藤は、勤めていた大学を辞め、音の素材を売る会社を始めた。伊藤が販売する効果音は曲作りに役立つを評判を呼んだ。着メロ事業にも進出。3人だった社員は20人に成長した。7年後、取引先との打ち合わせの時に、ある音を聞いてみて?と言われた。流れてきたのはコンピューターの声だった。歌手とメロディーを入れると機械が歌う歌声合成ソフトだった。開発したのは静岡にある総合楽器メーカー。歌声合成の部署はたった4人だった。研究をを始めたのは藤井茂樹。機械の詩では感動させるのは難しいと言われていたが、押し通した。開発のリーダーは剣持秀紀。課題は歌詞が聞き取りづらいことだった。剣持秀紀は音を分析し5ヶ月後突き止めた。2文字の言葉は5つのパートに分けると滑らかになる。開発を始めて2年、ようやく歌声合成ソフトに1曲歌わせることができた。しかし、人が歌ったほうが早いと製品化は不採用になった。伊藤博之はもったいないと思って販売を担当することに決めた。
伊藤博之が扱った音を色々と紹介した。剣持秀紀は伊藤と知り合う前に、サンプルを使ったことがあるという。伊藤博之は「ボーカルのソフトがあったら絶対に売れると思ってたしそういう、ソフトが欲しかった」などと話した。
2004年11月5日、日本初の歌声合成ソフト「MEIKO」が発売された。ボーカルとアンドロイドを組み合わせボーカロイドと名付けられた。しかし反響は小さかなった。「MEIKO」は1500本。「KAITO」は500本。音楽雑誌からは3歳時のようなたどたどしい歌声と酷評された。4人しかいなかったチーム2人に縮小された。落ち込む剣持に新美幸二は「細くても続けなさい」と声をかけた。剣持は何が足りないのかあらゆるジャンルを聞いた。若い女性歌手を聞いてる時、息と声が渾然一体になってることに気づいた。息の成分を残したまま言葉を繋げられないか、システムを1から作り直し始めた。その頃、伊藤もどうしたらソフトをもっと使ってもらえるか悩んでいた。ある日、売上を見ていた伊藤は、3年前に発売した「MEIKO」がもう一度売れ始めていたことに気づいた。理由はあるサイトにあった。個人が自由に動画を投稿できるサイト。ボーカロイドにアニメやヒット曲を歌わせる動画が次々と投稿されていた。しかもその歌声について1人の歌手のことのように語り合っていた。伊藤は同人文化を再度確認。どんな歌を歌わせようかとワクワクできるキャラクター像が必要だと、アイデアを社内で話すと、食いついてきたのが入社2年目の佐々木渉だった。佐々木はここに参加すれば自分が知らない音に出会えるかもしれないと手をあげた。まずは手を付けたのが声。佐々木は300人の声優から凛とした声を選んだ。さらにパッケージのデザイン。あえてアンドロイドである雰囲気を出すため、未来から来た少女を作り出した。2007年4月、声を収録。半年後、ついに声が立ち上がった。名前は初音ミク。未来から来た初めての音という思いを込めた。
佐々木渉は音マニア。佐々木渉について伊藤博之は「マニアックなので結構いろんなことに首をつっこみたがる。軽くふったら全力で走り始めた」などと話した。初音ミクについて剣持秀紀は「架空の女性が歌うことを理解するのに時間もかかったし、社内的にどう説明しようかだいぶ悩んで苦労した」などと話した。
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2007年8月、初音ミクは店頭に並び、開発陣の予想を遥かに超える売れ行きを見せた。1ヶ月で1万5000本を販売。動画サイトには早速、投稿が溢れかえった。発売から3ヶ月が好きた時のことだった、伊藤らのもとに、肖像権を売ってもらえませんか?というメールが届いた。問い合わせはレコード会社や広告代理店からもやってきた。もし契約を交わせば莫大な利益を生む、しかしそうなれば、みんなが曲を自由に投稿できなくなるかもしれない。伊藤らは初音ミクは渡さないと決め、一定のルールの中で、自由に無料で使ってと公式で宣言した。それから4日後、1つの曲「メルト」が投稿された。発表されるやいなや曲は話題となった。これをきっかけに無名だが腕に覚えがある作曲家が、完成度の高い曲を次々に発表した。福岡の大学生も曲を投稿した。ユーザー名はDECO*27。中学生の頃から曲を作っていたがうまくいかなかった。曲を作っていたが聴いてもらう範囲は友人だけ。自分の曲を聴いてもう機会もない、そんなとき出会ったのが初音ミクだった。1か月かけて作った曲を投稿。すると生まれて初めて自分の音楽に賛同してくれる人が現れた。その後も次々と曲を発表した。いまや誰もが知る歌手に楽曲を提供するアーティストになった。米津玄師も曲を投稿した。2011年、アメリカ・ロサンゼルスで初音ミクのソロライブが行われた。誰もが音楽を作り世界を楽しませることができる。それは伊藤が若き日に北海道から夢見た世界そのものだった。
佐々木渉は「業界の偉い方からは、こういうソフトウェアを作って、予算があったらアニメとか作りたかったんでしょ?だから自分たちがアニメを作ってあげようかみたいな、投げ方もあった。そうじゃなくて、みんなが思い思い作っているのが素晴らしい。これを生かしてやっていきたいというと、よくわからないって言われてしまう。捻じ曲げられないような、そういう防護柵を持ちながら、少しずつ世の中に馴染んでいったらいいなという気持ちはやりながらあった」などと話した。伊藤博之は「見聞きしてえる子どもたちがたくさんいて、そういった方々が刺激をうけてこれから作る、芸術ってどんなんだろうって可能性を感じる」などと話した。
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初音ミク発売から18年、さらなる進化のため共同開発は続いている。他社からも様々なソフトが登場。1つのジャンルを確立しもはや文化となった。ボーカロイドの曲を生身の人間が歌う、歌い手がたくさん現れた。機械にしか出せないと言われた高温や速い曲調もボーカロイドを聞きながらマスターしていた。その歌い手の1人がAdoだった。Adoは「ボカロがなかったらAdoはいない。私に未来を与えてくれた」などと話した。
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