今回の舞台は山口・周南市。池上とともに向かったのは俳優の宮崎美子。徳山港から南西におよそ10kmの場所に位置する大津島は人口170人ほどの離島で、太平洋戦争末期にはここで極秘作戦が行われていた。島で真っ先に目に付くのが「ようこそ 回天の島」と書かれた看板。回天とは人間が魚雷に乗り込み敵艦へ特攻する必死の兵器のことで、多くの若者が回天とともに南の海に散っていった。大津島は回天の基地が全国で唯一残っている場所で、回天記念館には回天の実物が展示されていた。回天の全長は14.75m、胴体直径は1m、先端には1.55トンの爆薬が詰め込まれていて大型艦船も一発で沈められるほどの破壊力だったという。
建物の中に入ると、回天とともに亡くなった搭乗員や整備士ら145人の写真が飾られていた。回天に乗り込んだ人たちの平均年齢は20.9歳だったそう。彼らが残した多くの遺品には自らを奮い立たせるように勇ましい言葉が並べられていた。80人が回天で出撃して亡くなったが、撃沈できた敵の艦船はわずか3隻だった。塚本太郎さんは昭和20年1月21日に回天で出撃し特攻死した。記念館では塚本さんの肉声の遺書を聞くことができる。
建物の中に入ると、回天とともに亡くなった搭乗員や整備士ら145人の写真が飾られていた。回天に乗り込んだ人たちの平均年齢は20.9歳だったそう。彼らが残した多くの遺品には自らを奮い立たせるように勇ましい言葉が並べられていた。80人が回天で出撃して亡くなったが、撃沈できた敵の艦船はわずか3隻だった。塚本太郎さんは昭和20年1月21日に回天で出撃し特攻死した。記念館では塚本さんの肉声の遺書を聞くことができる。