2025年8月10日放送 12:00 - 12:54 テレビ東京

池上彰の戦争を考えるSP
2025

出演者
池上彰 宮崎美子 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(池上彰の戦争を考えるSP2025)
今回の舞台 瀬戸内海に浮かぶ島 極秘の特攻作戦とは

今回の舞台は山口・周南市。池上とともに向かったのは俳優の宮崎美子。徳山港から南西におよそ10kmの場所に位置する大津島は人口170人ほどの離島で、太平洋戦争末期にはここで極秘作戦が行われていた。島で真っ先に目に付くのが「ようこそ 回天の島」と書かれた看板。回天とは人間が魚雷に乗り込み敵艦へ特攻する必死の兵器のことで、多くの若者が回天とともに南の海に散っていった。大津島は回天の基地が全国で唯一残っている場所で、回天記念館には回天の実物が展示されていた。回天の全長は14.75m、胴体直径は1m、先端には1.55トンの爆薬が詰め込まれていて大型艦船も一発で沈められるほどの破壊力だったという。

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周南市(山口)回天回天記念館大和ミュージアム大津島太平洋戦争徳山港明治神宮外苑競技場

建物の中に入ると、回天とともに亡くなった搭乗員や整備士ら145人の写真が飾られていた。回天に乗り込んだ人たちの平均年齢は20.9歳だったそう。彼らが残した多くの遺品には自らを奮い立たせるように勇ましい言葉が並べられていた。80人が回天で出撃して亡くなったが、撃沈できた敵の艦船はわずか3隻だった。塚本太郎さんは昭和20年1月21日に回天で出撃し特攻死した。記念館では塚本さんの肉声の遺書を聞くことができる。

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回天回天記念館塚本太郎大和ミュージアム慶應義塾福澤研究センター
【回天】で特攻死した塚本太郎さん 最後の別れ 家族へ託した思い

塚本太郎さんの弟の悠策さんが千葉県松戸市で暮らしている。太郎さんとは12も年が離れていたそうで、太郎さんについてストイックで自分に厳しい人だったなどと話した。太郎さんが一時帰宅した時の写真では悠策さんは太郎さんの横で嬉しそうに笑っていた。回天は秘密の特攻だったため任務については何も話せなかったが、突然の帰宅に両親は何かを感じていたようだったという。そして太郎さんは別れ際に母親の着ている着物で座布団を作るように頼み、それを回天の操縦席に敷いて特攻した。母親の郁子さんは、あの座布団と同じ着物を着て太郎に会いに行くという言葉を残し亡くなったという。享年21歳だった。極秘作戦だった回天が初めて報じられたのは初出撃から4カ月後で、記事には太郎さんの名前もあった。当時について悠策さんは戦争という大きな渦に巻き込まれる雰囲気があったなどと話した。

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回天塚本太郎慶應義塾大学慶應義塾福澤研究センター松戸市(千葉)
敗戦間近【回天】の発案者は…状況悪化を憂いた若者だった

特攻兵器・回天は戦況の悪化を憂いていた黒木博司中尉と仁科関夫少尉が提案し、敗戦濃厚となった昭和19年2月に極秘裏に試作が始まった。多くの特攻兵器の中でも回天は、発案者が搭乗員となった稀なケースだった。黒木さんは回天の訓練中に事故で命を落とし、仁科さんは初出撃で特攻して21歳の生涯を閉じた。大津島には回天の極秘の訓練基地が残っていて、回天を運ぶために作られたトンネルは生と死のトンネルと呼ばれていたそう。トンネルを抜けると回天に乗る若者が最後の訓練を受けた場所があり、穏やかな風景に異質な建造物が鎮座していた。建物は老朽化が激しく立ち入りが制限されている。ここは魚雷訓練用発射口として使われていた。島が連なる地形ではなく九州まで海が広がっており、この地形が回天の訓練に適していたという。昭和19年の9月から始まった回天の訓練だが開始後2カ月で実戦投入となった。回天は極秘の兵器であり、今なお全貌は明らかになっていないという。

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仁科関夫回天回天記念館大和ミュージアム大津島黒木博司
【回天】特攻に赴く隊員たちを間近で見ていた潜水艦乗組員の証言

回天は潜水艦のデッキの固定され目標艦船がいるエリアまで運搬される。その潜水艦の元乗組員であった清積勲四郎さん97歳に当時の話を聞いた。16歳で潜水艦の乗組員になった従兵として士官の世話係を担当していた。潜水艦の甲板にある台座のようなものに回天を縛り付け、敵の船の近くまで運んだという。当時最年少だった清積さんは特攻に赴く回天の隊員には近づき難い雰囲気があったとのこと。昭和20年7月の九州沖では回天を乗せた潜水艦に艦長から「従兵 お酒持ってこい」という命令が下って「これが別れの杯だ」として飲んでいた。特攻隊員が出撃直前に残した言葉は一番隊長は「天皇陛下万歳」で残りの乗組員は全部「お世話になりました」とのことだった。

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回天回天記念館大和ミュージアム松山市(愛媛)
回天の島で何が起こっていたのか 紙芝居で伝える戦争の不条理

大津島で唯一の食堂にいた松本千恵子さん。千恵子さんは母から聞いた話を紙芝居にして伝えている。

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古城香根子大津島山口県

松本千恵子さんは紙芝居で挺身隊員や戦争の不条理について語っていった。

なぜ?終戦1日前の激しい空襲 500人以上の市民が犠牲に…

山口県のある場所の写真では爆弾の痕が写っていた。写真の場所は山口・岩国駅周辺である。岩国駅を中心にアメリカ軍は無差別に爆弾を投下したという。岩国空襲は25分に渡って行われ、500人以上の命が失われた。

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山口県岩国学校教育資料館岩国駅
米海兵隊岩国航空基地の中になぜ旧日本軍の施設が?

米海兵隊岩国航空基地の中に太平洋戦争当時を偲ばせるものがある。旧日本軍の掩体壕が当時のまま残されており、アメリカ軍による激しい爆撃の痕が80年経った今も残っていた。さらに1984年の映画で使われたゼロ戦のレプリカを日米友好の証としてアメリカ軍に贈呈したという。ガラスがはめ込まれている部分をよく見ると飛行機の形をしていた。掩体壕について米海兵隊員は「歴史の遺構 日米関係の象徴として残していきたい」とのことだった。

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岩国飛行場掩体壕
(エンディング)
エンディングトーク

池上彰は「今の日本は戦争を知らない世代がほとんどだが戦争の記憶が伝わらないのは問題があるのではないか」などと話した。

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