沖縄県糸満市にある戦争遺跡の轟壕。こうした洞窟はガマと呼ばれ、戦争当時は避難場所として使われ、現在も数多く残っている。中でも轟壕は東西に約100m伸びる巨大なガマだった。沖縄県観光ボランティアガイド友の会・太田玲子事務局長は「避難した人は大体500人くらいと言われている。食料もなくて、その日暮らしの状況で、アメリカ軍は火炎放射をかける。上を開けてガソリンを流し込んで火をつける。そういったやり方で中にいる人たちを焼き殺す」と話した。戦争の悲惨な記憶を物語る轟壕には毎年、多くの人が訪れていたが近年は落石が相次ぎ、大人数を対象にしたガイドは安全上すべて取りやめになった。戦争遺跡の老朽化により、沖縄戦を継承する方法も変わり始めている。今年、糸満市が3次元バーチャルリアリティーで再現された轟壕をweb上に公開した。県内の歴史的な建物を3D化する事業を行っていた印刷会社が作成を担当した。360度撮影できるカメラを使用。約2年かけて実現した新たな戦争遺跡の保存のあり方。バーチャル空間にある印をクリックすると当時の様子がわかる。作成を担当した池宮商会・池宮城拓社長は「橋渡しだと思っている」と話した。