田中さん(45歳)が就職活動を始めたのは2000年ごろ、就職氷河期世代の厳しい現実が待っていた。バブル崩壊後の90年代後半、企業は人件費を削減するため新卒採用を大幅に絞り込んだ。大卒就職率は年々下がっていき2003年には55.1%、過去最低を記録する事態に。24歳で、ようやく営業職に就職できた田中さんだったが望まない海外への転勤を命じられ退職。地元に戻り厳しい就職活動を続けた。2年間のアルバイト生活中、憧れていた広告業界を目指し100社以上の面接を受けた末、ようやく広告会社に転職したが。氷河期を背景に就職は買い手市場になっていたため安定した賃上げや職業が望めなかった。田中さんは27歳で結婚、家族を養うため広報の仕事に転職したが、そこでも。さまざまな業種への転職を余儀なくされた結果継続してスキルを伸ばせず安定して賃上げがないことで将来への不安があった。38歳のとき収入を上げるため転職した会社では突然の賃金引き下げによりこんな事態に。妻と相談し、離婚に至った。これまで5回にわたり収入を上げるために転職をしてきたが賃上げの波に乗り切れなかった。氷河期世代への政府の支援策は限定的で根本的な解決には至っておらずこの構造的な問題が、今なおこの世代の生活に影響を与え続けている。50代以上の転職を支援するシニアジョブの中島康恵社長はこうした現状について、50代になると採用する企業そのものが減ってくる、氷河期世代は業務量が増えがちになる世代だが業務量に対して賃金が見合っていないという声が多い、などと話した。今後の支援策が不十分な中で求められる政府の具体策は果たして。