日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が選ばれた今年のノーベル平和賞は今月10日にノルウェー・オスロで授賞式が開かれ、広島と長崎の被爆者などが参加する。原爆の投下から79年、当時の惨状を知る被爆者が年々少なくなる中、核兵器廃絶を訴え続け亡くなった先人たちの思いをこの授賞式で繋げようという人たちがいる。どんな思いを込めて式に参加するのか、長崎で被爆した2人を取材した。ことしのノーベル平和賞の受賞が決まった10月11日、長崎で活動を続けてきた被爆者が集まり、急きょ会見が開かれた。会場に掲げられた写真。長年、核兵器廃絶を訴え続けながら志半ばで亡くなった先輩被爆者たち。日本被団協の代表委員・田中重光さん(84歳)は授賞式で登壇する被爆者代表の1人。長崎県内の団体の会長も務めてきたが、自分がその役目を担っていいのか葛藤を抱えてきた。田中さんは原爆が投下された当時は4歳。爆心地から離れていて、けがはなかった。まだ幼く記憶もあまりなかったこともあり、自ら進んで語り継ごうという思いにはなれなかった。田中さんが背中を追ってきたのが7年前、88歳で亡くなった先輩被爆者の谷口稜曄さん。谷口さんは16歳の時に被爆し、背中に大きなやけどを負った。国連で赤い背中を掲げて世界に原爆の悲惨さを訴えた。谷口さんたち先輩被爆者と共に活動をする中で、田中さんは被爆の記憶が少ない自分にも語り継ぐ役割があると思えるようになったという。日本被団協の代表委員・田中重光さんは今、谷口さんが大切にしてきた原爆の語り部活動を行っている。核兵器廃絶の思いを先輩から受け継いできた田中さんは授賞式でも被爆体験のない多くの人に繋げていきたいと思っている。
長年、声を上げ続けてきた先輩被爆者たち。その言葉を授賞式で伝えようとする人が日本被団協の代表理事・横山照子さん。横山さんが特別な存在と呼ぶ先輩、山口仙二さんについて。横山さんが山口さんを尊敬しているのは、自らは被爆の経験を語れなかった過去があるから。横山さんはけがはなかったものの被爆。家族も大きな傷を負いました。差別や偏見を恐れ、被爆の体験を語れなかった。11年前、82歳で亡くなった山口さん。ノーベル平和賞が受賞できれば核兵器廃絶の大きな後押しになると期待を寄せていた。授賞式に持参するリーフレットには山口さんの演説のことばが綴られた。先輩の存在に背中を押されてきた横山さんと田中さんは「彼らのような経験はないとしても意思は繋いでいける」、その思いを胸にノーベル平和賞の授賞式に臨む。
長年、声を上げ続けてきた先輩被爆者たち。その言葉を授賞式で伝えようとする人が日本被団協の代表理事・横山照子さん。横山さんが特別な存在と呼ぶ先輩、山口仙二さんについて。横山さんが山口さんを尊敬しているのは、自らは被爆の経験を語れなかった過去があるから。横山さんはけがはなかったものの被爆。家族も大きな傷を負いました。差別や偏見を恐れ、被爆の体験を語れなかった。11年前、82歳で亡くなった山口さん。ノーベル平和賞が受賞できれば核兵器廃絶の大きな後押しになると期待を寄せていた。授賞式に持参するリーフレットには山口さんの演説のことばが綴られた。先輩の存在に背中を押されてきた横山さんと田中さんは「彼らのような経験はないとしても意思は繋いでいける」、その思いを胸にノーベル平和賞の授賞式に臨む。