TVでた蔵トップ>> キーワード

「二十六聖人像」 のテレビ露出情報

きょうの時をかけるテレビは1995年放送の「老友へ 83歳 彫刻家ふたり」。佐藤忠良さんと舟越保武さんの半世紀を超える友情を収めたドキュメンタリー。
佐藤忠良さん83歳。日本を代表する彫刻家。朝8時から暗くなるまで、休むことなく粘土との格闘を続けるのが佐藤さんの日常。83歳の佐藤さんには60年、共に彫刻の道を歩き続けた同じ年の親友がいる。舟越保武さん、佐藤さんと並んで日本の彫刻界をリードしてきた.。舟越さんは脳梗塞で倒れ、彫刻家の命である右手の自由を失った。しかし、今も車いすに座り、左手だけで制作を続けている。舟越さんが脳梗塞の発作で倒れたのは8年前の1月のことだった。入院中の舟越さんを支えたのは佐藤さんからの手紙だった。佐藤さんは元気な自分が見舞いに行くとかえって舟越さんが気持ちを乱すのではないかと考え、手紙だけを送り続けた。スケッチに添えられた「バレンタインにアネモネとチョコ、おこぼれおたけさんへ」などの短い言葉。2人の出会いは昭和9年、東京美術学校に入学したときのことだった。その後、2人は長屋で共同生活を始めた。2人は毎年の新制作展で作品を競い合ってきた。佐藤40歳の作品「群馬の人」。日本の彫刻界で初めて日本人の素顔を表現したと評価された。昭和35年、最高の栄誉高村光太郎賞を受賞。その頃、舟越さんは長崎26殉教者記念像の制作に取り掛かっていた。舟越さんは4年半の歳月をかけてこの大作を作り上げた。この作品で高村光太郎賞を受賞。佐藤さんの受賞から2年後のことだった。倒れて以来舟越さんは秋の展覧会に向けて年に1回だけ作品を作るようになった。夏に体力を整え気力を高めてアトリエに向かう。舟越さんの制作は体力との勝負。何日もアトリエで作り続けることは出来ない。せいぜい4日が限度。制作は思うように進まない、この日も30分ほどで作業を中断。佐藤さんの手元にかつて舟越さんから届いた「仕事の他は、さぼってくれ、アトリエの中だけで忙しく動いて下さい。これは見舞いではない。これは私の真面目なお願いです」という手紙がある。まだ、舟越さんが脳梗塞に倒れる前のことだった。佐藤さんのアトリエ。舟越さんのアトリエからは3キロと離れていない。近くに住んでいるが照れ屋の2人はめったに会うことがない。佐藤さんもまた、秋の新作制作展に向けて励んでいた。3か月をかけた立像がまもなく完成。佐藤さんは仕上げに入った今、微妙な線をさぐって細部にこだわりつづけている。ところが完成間近の像に異変が起きていた。垂直に立つはずの像が微妙に傾き始めていた。展覧会の締め切り間近のある日、思わぬ事態が起きた。武田鉄矢さんは「ライバル、友人ていうのは、本当に立派な絆で結ばれているような気がする」などコメント。
佐藤忠良さんと舟越保武さんの友情について、伊藤海彦アナウンサーは「この素敵な関係性。ニュースウオッチ9のリポーター時代に栗原アナウンサーと私はこの関係に近かった。お互い切磋琢磨しながら、常に戦っていた。終わったらノーサイドで次の戦いに向かっていくという」などコメント。時をかけるテレビ「友へ 83歳 彫刻家ふたり」は今夜10時30分から放送。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.