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「日米和親条約」 のテレビ露出情報

「横浜に中華街があるのは昔 欧米人との通訳で中国人が活躍したから」について、筑波大学の山下清海名誉教授が解説。1853年、ペローが浦賀沖に黒船で来航。その翌年、日米和親条約が結ばれると、日本は約200年続いた鎖国を終わらせ開国した。そして、横浜では1859年にアメリカやイギリスなどの欧米諸国と貿易を始めた。そのとき、貿易の要となったのが(当時の秦)現在の中国人だった。日本は江戸時代初期から長崎・出島でオランダと貿易していたため、学者などはみな、オランダ語を勉強。西洋の文化を研究していた福沢諭吉もオランダ語を勉強していたが、ある日、その力を試そうと横浜を訪ねると 街じゅう英語だらけで愕然。その後、必死に英語を勉強し直したという有名なエピソードも残っているほど、当時の日本人にとって英語は未知の言葉だった。日本とスムーズに貿易したい欧米人が目を付けたのが中国で欧米の商社に雇われていた買弁と呼ばれる中国人商人だった。中国人と日本人は漢字を使えば筆談が可能。このように中国人が通訳として日本と欧米の架け橋になった。こうした経緯で中国人が大勢来日したため、横浜に中華街ができた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月17日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
依頼人は、神奈川県横浜市の松平さん親子。依頼品は、黒船来航の絵巻。祖母の家で見せてもらったものだという。嘉永6年6月3日、アメリカ海軍のマシュー・ペリー率いる黒船が来航した。旗艦・サスケハナ号は蒸気船で、全長約76m。日本の大型船に比べ3倍ほどの大きさだった。ペリーの目的は、フィルモア大統領の国書を渡し、国交を結ぶことにあった。6月9日、久里浜で国書の受け渡[…続きを読む]

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