- 出演者
- 塚原愛 岡村隆史 柳原可奈子 槙野智章
オープニングの挨拶。ゲストは槙野智章と柳原可奈子。
チコちゃんは「なぜ絵文字ができた?」と出題。槙野智章は「気持ちを伝えたいから」と答えてチコちゃんに叱られた。正解は「ハートマークをどうしても送りたかったから」。
「絵文字ができたのはハートマークをどうしても送りたかったから」について、大手IT企業の栗田さんが解説。絵文字はメイド・イン・ジャパン。栗田さんが携帯電話の絵文字を開発した。携帯電話が普及していなかった当時、通信手段はポケットベル(ポケベル)だった。数字からカタカナ、そしてひらがなへとやりとりが変化。その時に生まれたのがハートマークの絵文字だった。その後、漢字を表示できるポケベルを発売。しかし、ハートマークの絵文字などを外してしまったことでまったく売れなかった。この出来事について業界では「ハートマーク事件」と呼ばれている。その後、栗田さんはiモードのプロジェクトに参加。栗田さんはハートマークを含む絵文字を176種類を考えたという。
オープニング映像。
チコちゃんは「なぜ横浜に中華街がある?」と出題。柳原可奈子は「中華が大好きな人が店を始めてえらい行列になったから広がっていった」と答えてチコちゃんに叱られた。正解は「昔欧米人との通訳で中国人が活躍したから」。
「横浜に中華街があるのは昔 欧米人との通訳で中国人が活躍したから」について、筑波大学の山下清海名誉教授が解説。1853年、ペローが浦賀沖に黒船で来航。その翌年、日米和親条約が結ばれると、日本は約200年続いた鎖国を終わらせ開国した。そして、横浜では1859年にアメリカやイギリスなどの欧米諸国と貿易を始めた。そのとき、貿易の要となったのが(当時の秦)現在の中国人だった。日本は江戸時代初期から長崎・出島でオランダと貿易していたため、学者などはみな、オランダ語を勉強。西洋の文化を研究していた福沢諭吉もオランダ語を勉強していたが、ある日、その力を試そうと横浜を訪ねると 街じゅう英語だらけで愕然。その後、必死に英語を勉強し直したという有名なエピソードも残っているほど、当時の日本人にとって英語は未知の言葉だった。日本とスムーズに貿易したい欧米人が目を付けたのが中国で欧米の商社に雇われていた買弁と呼ばれる中国人商人だった。中国人と日本人は漢字を使えば筆談が可能。このように中国人が通訳として日本と欧米の架け橋になった。こうした経緯で中国人が大勢来日したため、横浜に中華街ができた。
引退後、メディア露出が増えた槙野智章。多くの番組でサッカーボールを使った挨拶を求められるが、何をすればいいか分からないという。チコちゃんは「炒めようとしたらいい、いちボケとして」などとアドバイスを送った。
超難しい早口言葉を大募集。10月10日の生放送で国民的早口言葉コンテストを開催する。
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チコちゃんは「アスファルトってなに?」と出題。岡村隆史は「ありとあらゆる人たちのゴミ」と答えてチコちゃんに叱られた。正解は「はるか昔生きていた微生物の死がい」。
「アスファルトははるか昔生きていた部生物の死がい」について、東京理科大学の加藤佳孝教授が解説。アスファルトの原料は原油。石油は総称、原油は地中から採取したままの石油を指す。原油の主な成分は古代の海や湖にいた微生物の死がい。海中の微生物が死ぬと海の底に沈む。時間が経つと堆積物が重なっていき、地層に死がいが保存される。地中が深くなるほど温度や圧力が高くなるため、その条件下で数百万円から数億年にかけて化学変化を繰り返すと原油になるという。
いわしマンさん 5さい(+6才)からのおたよりを紹介。おばあちゃんの家に泊まりに行くと食欲が抑えられなくなってしまうというお手紙。
次回予告が流れた。
チコちゃんとあっち向いてホイ!