- 出演者
- 塚原愛 岡村隆史 福田麻貴(3時のヒロイン) 新浜レオン
オープニングの挨拶。ゲストは新浜レオン、福田麻貴。
女の人が腕時計を内向きにつけるのは脇が見えるから。桐蔭横浜大学の並木教授が解説。腕時計は1810年にナポレオンの妹カロリーヌ・ミュラのために作られた。19世紀後半には男性が戦争のときにつけていくものとして普及した。日本にもヨーロッパから腕時計が輸入されるようになり、兵士が私生活で使ったことで市民に広まった。当時の日本では男性が身につけるもので女性がつけることはなかったが、大正時代に女性の社会進出が進むと腕時計をつける女性が登場した。多くの女性は着物を着ており、腕時計を外向きにつけると脇が見える可能性があるため内向きにつけるようになった。
オープニング映像。
ドライクリーニングは有機溶剤で洗うこと。大手クリーニング会社の長谷川さんが解説。有機溶剤は、除光液など石油などから作られる液体。水を使わない意味でドライクリーニングと言われている。汚れには水に溶けやすい汚れと油に溶けやすい汚れがあり、油性汚れは水より有機溶剤が落としやすい。また水で洗うと形が崩れやすい素材もあるが、有機溶剤で洗う場合は繊維の形を変えないため型崩れが起きにくい。ドライクリーニングは、水では落としにくい汚れがある服や水で洗うと形が崩れる素材を使った服を有機溶剤で洗うことだった。家庭用の洗濯機は水を使う機械のため有機溶剤は使えない。ドライクリーニングが始まったきっかけは、一説には19世紀頃のヨーロッパで汚れた洋服の上に偶然ランプの燃料をこぼしてしまった部分がきれいになったことで思いついたと言われている。
新浜は、木梨憲武に「レオンにしかできないものをやりなさい」と言われて膝スライディングを教えてもらった、相性が悪いのはカーペットと話した。
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野球の「ショート」はピッチャーとの距離がショート。名城大学の鈴村教授が解説。1845年にニューヨーク・ニッカボッカーズが、現在の野球ルールの原型を作った。当時のボールは軽くて遠くまで投げられず、ニッカボッカーズのダニエル・アダムスは外野からピッチャーまでの中継役を務めるため外野と内野の中間あたりのポジションを守った。1850年代以降ボールが改良され、外野との中継をしなくてもよくなったことでショートの進化が始まる。ディッキー・ピアースは、前に出てポジションをとった。前に出ると1塁に近くなるのでアウトにしやすいが、バッターとの距離も近くのあるため球のスピードが上がる。ピアースが高い瞬発力でプレーを決めたことが評判となり、多くの選手がマネをするようになった。ジョージ・ライトは肩の強さを生かしレフト寄りを守り、多くの打球に追いついてアウトをとった。ジョージのポジションが現在のショートのポジションと同じ。
鈴村教授がメジャーリーグ史に残る名ショートプレー集を紹介。1970年代後半から活躍したオジー・スミスはゴールドグラブ賞を13年連続で獲得し、華麗な守備から「オズの魔法使い」の異名がついた。1992年の日米野球第5戦では、内野の奥深くでキャッチしたボールをジャンピングスローしてノーバウンドで1塁に届き、アウトをとった。ミスター・ヤンキースと呼ばれたデレク・ジーターは、ショートとして長年ヤンキースを支えた。ジーターの伝説プレーは2001年プレーオフの「ザ・フリップ」。ライトからの送球を中継しアウトをとった。
宮本慎也にプロ野球史上No.1ショートを聞くと、自分以外なら小坂誠、守備範囲の広さはかなわなかったと答えた。好きなショートを聞かれた新浜は、二岡智宏を挙げた。
「レアなお金を家で見つけたことはありますか」という恭介くんからのおたよりを紹介。岡村は、和食屋で普通より小さいお札を見せてもらったと話した。番組では視聴者のおたよりや動画を募集中。
次回予告。
エンディング映像。