明治22年、中央停車場の建設が正式に決定。最初に設計を担当したフランツ・バルツァーの案は、レンガ造りの建物に和風の屋根を載せた和洋折衷の駅舎だった。しかし西洋列強と肩を並べることを目指していた明治政府はこの案を却下。日本銀行本店本館を見事な西洋建築で作り上げた辰野金吾に白羽の矢が立った。辰野金吾の第一案の建築予算は42万円。ところが、明治38年、日本が日露戦争に勝利し、建築費が280万円に大幅に増額された。明治時代は、東京に滞在する外国人が増加し既存のホテルだけではまかないきれなくなっていた。ならば新しい停車場二ホテルを建設しようという声が高まっていった。こうして辰野はより威厳のある駅舎を設計した。辰野金吾の最終案では、全長335メートル、鉄骨煉瓦造3階建ての巨大な建築。工学院大学建築学科教授・建築史家の大内田史郎さんは、真ん中に皇室専用の入口があるのが他の駅にはない大きな特徴などと説明。前代未聞の建設工事で、軟弱な地盤に松杭を1万本以上打ち込んで強化した後、鉄骨3100t以上などを使用した。大正3年に東京駅が竣工。東京ステーションホテルはその翌年に開業した。
