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「被服廠跡」 のテレビ露出情報

震災2日目の朝、上野では周辺の火災の勢いは弱まりつつあり人々は安堵の中にいた。カメラマン岩岡巽は震災2日目の上野の様子を映像に収めていた。浅草の火災は前日の夜に勢いを弱めていたが、前日昼間の南風が夜のうちに北風にかわり上野の方に火の手を伸ばしていた。上の駅周辺の線路に避難した人たちを映した映像には、はしごを崖にかけ高台の上野公園によじ登ろうとしている人の姿も映っていた。岩岡は上野公園に登り撮影ポイントを移した。多くの人たちの目は火災が迫る駅方向に釘付けになっていた。最初の映像から4時間後、午前10時頃の映像では火が容赦なく上野に迫っていた。午前11時頃に岩岡は上野広小路に移動。ここでは火事が近づいているのは見えず、安心して休んでいる人の姿も映っていた。9月3日以降に撮影された映像では上野広小路は一面焼け野原となっていた。猛火は上野駅までは焼き尽くしたが、上野公園までは及ばなかった。消防隊は不忍池から水を汲み出して火を消しとめた。上野の火災を最後に東京の火災はほぼ収束した。
家を失い郊外に避難する人も多かった。飯田橋周辺で撮影された映像では、牛込駅のホームに疲れ果てた様子で座り込む人の姿が映っていた。線路上の貨車には三木鶏郎の父親、繁田保吉の名前が書かれた張り紙があった。一家は皇居前に避難したあとより安全な場所を求めてこの場所にたどり着いていた。三木本人と思われる少年の姿も映っていた。この映像や被服廠跡の映像を撮影していた白井茂は「その時分何でも『殺してしまえ』という言葉がはやった」などと語っている。家族や家を失った人々の心は荒み、疲れ切っていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年9月3日放送 21:00 - 21:50 NHK総合
NHKスペシャル映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 後編
震災2日目の朝、上野では周辺の火災の勢いは弱まりつつあり人々は安堵の中にいた。カメラマン岩岡巽は震災2日目の上野の様子を映像に収めていた。浅草の火災は前日の夜に勢いを弱めていたが、前日昼間の南風が夜のうちに北風にかわり上野の方に火の手を伸ばしていた。上の駅周辺の線路に避難した人たちを映した映像には、はしごを崖にかけ高台の上野公園によじ登ろうとしている人の姿も[…続きを読む]

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