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「春岳院」 のテレビ露出情報

農民・豊臣秀吉、弟・秀長兄弟について静雄赤大学名誉教授・小和田哲男が解説。小和田は「弟は普通の農民。秀吉が信長に認められ出世したとき、白羽の矢が立った。小一郎長秀という名で出てくる。秀吉に仕えたのではなく、信長に仕え、信長から長をもらったからだろう」「越後の上杉謙信との手取川の戦いで、秀吉が柴田勝家と意見対立して先生から勝手に帰っちゃう。軍律違反で信長から謹慎を命じられる。秀長が黒田官兵衛と交渉、地盤がためをした」と説明した。秀長は山陰側、秀吉は山陽側の攻略を担当。信長の死後、秀信に名前を変えたとみられる。小和田は「天正11年賤ヶ岳の戦いに注目」「秀吉が岐阜城。現場を明けたところ秀吉が戻るまで守リ待った」「秀長あっての豊臣政権」「秀長は溜め込むタイプ」「秀吉は暴走タイプ。秀長は抑えるタイプ」「秀長がなくなった後晩年の暗黒事件、千利休を切腹させる、豊臣秀次を切腹させる。文禄・慶長の役、豊臣政権の悲劇に続く」と話した。
住所: 奈良県大和郡山市新中町3

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月2日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
静岡大学・小和田哲男名誉教授は、武田信玄と同じ両親から生まれた信繁が信玄活躍の立役者として大きな存在だと注目している。父の信虎は、兄の信玄よりも弟の信繁を可愛がっていたようだ。戦国時代は長男優先という考えではなく、能力の高い者が家督を継いでいた。信玄は父を駿河に追放するという「武田信玄のクーデター」といわれる出来事が起きた。家督を強引に継いだ信玄の行動に、信[…続きを読む]

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