笠井が岩手県洋野町を取材。東日本大震災で沿岸部にある街の中では津波の犠牲者・行方不明者が唯一ゼロだった。東日本大震災当時に副町長だった日當博治さんに話を聞いた。震災後には高さ12mの防潮堤が造られたが、当時は10m超の津波に襲われ、多くの家屋が被害を受けた。震度3でも避難を考える避難意識の高さが犠牲者ゼロに繋がった。昭和8年3月3日に発生した昭和三陸地震の大津波では70人以上が亡くなった。町内には石碑が建ち、毎年3月3日に慰霊祭を行い、その記憶を語り継いでいる。人の命を守るために大きな役割を果たしのが消防団。一部隊が一つの水門のみを閉めて高台へ避難し、12分で消防団の避難が完了した。消防団が避難することで住民へ避難を促すサインとなった。さらに消防団は住民が海へ近づかないようバリケードを作って防いだ。2013年に新しい避難所として「八木防災センター」が完成。全館バリアフリー。汚れが落とせるシャワー室、発電機や太陽光パネルなど、東日本大震災の教訓が生かされている。渡邊は誰かが逃げると自分も逃げなきゃいけないという良い意味での同調圧力が働く。率先して逃げる人がいるのは非常に大切と語った。
