TVでた蔵トップ>> キーワード

「時は流れて」 のテレビ露出情報

ミュージシャンの柳ジョージはブルースをベースにしたロックで人気を集め、数々のヒット曲を生み出した。昭和23年横浜の会社員の家庭に生まれた。少年時代を過ごした街はアメリカ文化がいち早く入ってきたという。高校の頃に柳さんを夢中にさせたのがエレキブーム。しかし高く買えず、音楽好きの友人と手作りすることに。見様見真似で木材を切り出し、ハンドメイドのエレキギターが完成した。仲間を誘ってダンスパーティーなどで演奏をするようになったが地元横浜の音楽事務所に誘われ昭和44年にパワー・ハウス
としてレコードデビュー。しかし開店休業の状態が続き解散。柳さんはその後ザ・ゴールデン・カップスに加入した。しかしバンドの最盛期は過ぎ、グループ・サウンズのブームは衰退し、ジャズ喫茶などの演奏の場が減っていき解散してしまった。柳さんは音楽の世界から離れ会社員になることを決意。就職したものの、会社に馴染めずわずか3日で退社。その後は工事現場で働くなどし生計を立てた。そんな時友人にイギリスに行かないかと誘われ気分転換のために向かったという。当時イギリスではブリティッシュ・ロックという音楽が盛んだった。立ち寄ったコンサートホールで衝撃をうけたという。柳さんはもう一度音楽の世界に生きることを決意した。
1975年に柳ジョージ&レイニーウッドを結成し観客が数名という時もあったが地道に活動した。三年後にはついにファーストアルバムの制作に取り付けた。司馬遼太郎の小説の酔って候の内容のもとに曲を作ったが許可は取っていなかったという。そこで司馬遼太郎の自宅を訪れた所、楽曲を聞いてもらいサインももらったという。ファーストアルバムが発売された昭和53年にまた同じ年にテレビドラマの主題歌になったが雨に泣いてる…が大ヒットした。コマーシャルソングなど次々に手掛け、昭和56年にバンドの解散を決意した。ソロになってからも精力的にライブ活動を展開。1982年にはレイ・チャールズと共演した。その後はポップスやアニメの主題歌などに挑戦した。そして最後のコンサートは2011年となり、多くのファンを魅了した63年の生涯だった。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.