戦国時代、羽柴秀吉が今の岡山市にあった備中高松城に対して行った水攻めについて、敵対する毛利側の武将・吉川元春が厳しい戦況を伝えた書状が見つかった。書状は岩国市の岩国徴古館に寄贈されたもので、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授が調査にあたった。書状には、「敵は川の水を流して下手をせき止めて、包囲してせめ立てているので、こちらからの加勢も城内の士気を上げることにならず、毎日心配している」などと記されている。書状は織田信長が討たれた「本能寺の変」の当日に書かれたもので、秀吉はその後、急きょ毛利側と和睦して戦場を離れるが、すでに毛利側が和睦に応じざるを得ない、厳しい状況に追い込まれていたことがうかがえるという。村井准教授は「水攻めについて毛利側がリアルタイムで記した記録は珍しい。ギリギリの状況だったことを当事者が赤裸々に語っていて、基調な資料だ」と話している。
