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「東大病院」 のテレビ露出情報

東京・台東区で行われた第37回下町七夕まつりは、浅草~かっぱ橋本通り~上野へ続く1.2kmの道が七夕飾りや出店・踊りで賑わう夏祭り。屋台で好きな物を買う代わりに家を見せてもらう企画を行ったが、家までついて行ってOKな人は見つからなかった。夜になり、入谷朝顔まつりの会場へ。出会ったのは83歳・男性&76歳・女性のカップル。朝顔2つ(6,000円)を奢る代わりに車に同乗させてもらい、家を見せてもらうことになった。83歳の三郎さんは福島県会津若松市の出身。鳶職人として働き、今も現役だという。76歳のてるこさんは足立区の出身。翌日が誕生日だという。2人ともパートナーとは死別。友人として家族ぐるみの付き合いがあったという。てるこさんが毎日三郎さんの自宅へ通っている。五反野にある三郎さんの自宅は4LDKの一軒家。持ち家で築45年。基礎工事は自分でやったという。自宅横に事務所があった。夕食はてるこさん特製きのこカレー。てるこさんは自分の家で作った料理をタッパーに入れて持ってくる。テーブルの上には舟券があった。2人でボートレースに行って、帰りに北千住マルイでてるこさんへの誕生日プレゼントとしてTシャツを購入した。てるこさんは嬉しくて仕事に着て行ったという。てるこさんが飲んでいる「アリナミンV」が箱で置いてあった。てるこさんは老人ホームで調理の盛り付けをしている。三郎さんのアルバムを見せてもらった。トラック運転手を経て鳶職人となった。孫からプレゼントしてもらったWiiで麻雀を楽しんでいる。お互いの孫と頻繁に会っている。4月は潮干狩り、6月はさくらんぼ狩り、9月はブドウ狩り、11月はりんご狩りへ一緒に行くという。三郎さんの妻は64歳の時、てるこさんの夫は47歳の時に亡くなった。タクシー運転手だった夫は脳出血で右半身付随になってリハビリしていたが、がんになり5年後に亡くなった。互いの家族に迷惑をかけたくないという想いから結婚はせず、一緒にも住まない。障子には島津亜矢のポスターが貼ってあった。2人でコンサートを見に行った。三郎さんは歌が上手で「銀座の恋の物語」をよくデュエットしたが、食道がんの手術をしてから歌えなくなったという。てるこさんは家族ではないのでICUにいる間は面会できなかった。一般病棟に移ってからは毎日会いに行ったという。夜9時を過ぎると、てるこさんはいつも通りに帰宅した。三郎さんは照れくさくて本人を目の前にして言えなかった「ありがとう」と感謝の言葉を口にした。
住所: 東京都文京区本郷7-3-1
URL: http://www.h.u-tokyo.ac.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月9日放送 9:00 - 11:10 日本テレビ
DayDay.ナゼ?ナゼ?
がんが進行した場合の治療法について。東京大学医学部附属病院で去年導入されたばかりの放射線治療マシン「LINAC」は、一般的な放射線治療はX線を外部からあててがん細胞を死滅させる治療が、正常な細胞もダメージを受けてしまいと重度の炎症になるリスクがあるが、LINACはX線の濃度や形が調節可能で、がん細胞のみを狙い撃つことができるといい、副作用が少ないという。そし[…続きを読む]

2024年6月6日放送 15:10 - 15:55 NHK総合
午後LIVE ニュースーンミニ番つまみぐい
ミニ番つまみぐい。今日は「FRONTIERS」より「不可能を可能にする挑戦」を紹介。様々な障がい対して不可能を可能にするための挑戦が行われている。ディレクター・矢野和城が障がいを克服するための最先端の技術(人工内耳)についてスタジオで解説してもらう。よく想像される補聴器は音を増幅して聞き取るのだが、難聴の中には一切を聞き取れないなどの人もおり、感音難聴などの[…続きを読む]

2024年5月20日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDays何を選んで食べる?病気に負けない体づくりの秘訣!健康戦隊 医者レンジャー
続いての先生は循環器内科医の稲島司先生。稲島先生は野菜ソムリエの資格を持ち食習慣にまつわる本を出版している。そんな稲島先生は毎日スムージーを作って飲んでいて、材料は緑黄色野菜やナッツなど。稲島先生が大切にしていることはエビデンスであると話した。つかさ内科の冷蔵庫には大量の納豆があり、昼食はできるかぎりみんなで食べていて週に2~3回は納豆の日にしているという。[…続きを読む]

2024年2月14日放送 23:10 - 23:15 テレビ朝日
健求者(オープニング)
オープニング映像。今回の健求者は東京大学医学部附属病院の医学療法士・山口正貴さん。

2024年2月14日放送 5:20 - 8:00 TBS
THE TIME,TIMEマーケティング部 スペシャルWEEK
国立スポーツ科学センターで働く能瀬さん。女性アスリートと生理の問題に向き合うきっかけは?能瀬さんは「自分ももともとバスケットボールをやっていてスポーツ医学に興味があったのと父が産婦人科医で産婦人科の魅力もあり、産婦人科医としてスポーツに関わりたいという思いがあった」などと述べた。20年前の日本ではスポーツドクターは整形外科医という時代。当時、女性アスリートが[…続きを読む]

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