2011年3月11日午後2時、文部科学省の会議室に日本の地震研究を担う専門家たちが集まり今後予測される巨大地震について議論を交わしていた。東京大学地震研究所の金沢敏彦は研究の発表を控えており、地震計は海には少なく海底で地震を検知するべきだと訴えようとしていた。発表を行おうとしたまさにその時、大きな揺れに襲われ地震発生から3分後に第一報の津波予測が出された。第一報の宮城県の予想は6m。しかし実際には南三陸町は15m超、岩手県の宮古市は17mの津波に襲われ、予測は大きく外れた。マグニチュード9の巨大地震は気象庁がリアルタイムで観測できる限界を超えていた。
震災から数日後、東京大学地震研究所で見つかったデータに研究者は衝撃を受けた。データは陸に到達する20分前には巨大津波の実像を正確に捉えていた。データは釜石の沖合70kmで捉えられていた。震災から15年も前に金沢が研究用に設置した津波計の記録だった。日の目を見なかった記録に突如スポットが当たった。
金沢は1971年に東京大学の地震学研究室の門を叩いた。そこで出会ったのが地震学者の浅田敏。陸上での地震観測が主流だった時代にいち早く海底での観測に乗り出した異端の研究者だった。莫大なコストがかかるため敬遠されていた海底での観測に浅田と金沢は独自の手法で乗り出し何度も実験を行った。金沢は地道の海での観測を続け、1996年に海底でリアルタイムに地震や津波を捉える装置を開発し、釜石の沖に設置した。それから15年、津波をいち早く捉えていた。震災発生から11日。金沢は仲間と一通の提案書を国に提出した。東日本の海の空白地帯に観測機を張り巡らせる構想だった。
震災から数日後、東京大学地震研究所で見つかったデータに研究者は衝撃を受けた。データは陸に到達する20分前には巨大津波の実像を正確に捉えていた。データは釜石の沖合70kmで捉えられていた。震災から15年も前に金沢が研究用に設置した津波計の記録だった。日の目を見なかった記録に突如スポットが当たった。
金沢は1971年に東京大学の地震学研究室の門を叩いた。そこで出会ったのが地震学者の浅田敏。陸上での地震観測が主流だった時代にいち早く海底での観測に乗り出した異端の研究者だった。莫大なコストがかかるため敬遠されていた海底での観測に浅田と金沢は独自の手法で乗り出し何度も実験を行った。金沢は地道の海での観測を続け、1996年に海底でリアルタイムに地震や津波を捉える装置を開発し、釜石の沖に設置した。それから15年、津波をいち早く捉えていた。震災発生から11日。金沢は仲間と一通の提案書を国に提出した。東日本の海の空白地帯に観測機を張り巡らせる構想だった。
住所: 東京都文京区弥生1-1-1
URL: http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/Jhome.html
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